他力ということ(はらから64号)

さる五月十六日(2003年)、全国紙四紙(朝日・産経・毎日・読売)に全面広告にてオリンパス光学のコマーシャルが掲載された。
内容は「三日坊主から抜け出そう、大樹の陰から抜け出そう、井の中から抜け出そう、~中略~他力本願から抜け出そう」という惹句で若い世代に人気のタレントを使い、新製品のデジタルカメラの発売を告知するものであった。
問題なのは殊に、他力本願の語が、脱却すべきマイナスイメージの言葉として使われたことである。早速、本願寺(本山)はもとより、全国末寺そして、読まれた門徒の方々から、抗議の電話、手紙、ファックスがオリンパス光学へ寄せられたと聞く。
以前、他力本願という言葉を誤用し大臣の職を辞せざるを得なくなった国会議員もいたが、今度は知名度抜群のオリンパス光学がしかも、全国紙に全面広告で「他力本願」の語を人任せの意味で誤用したのである。
残念なことではあるが、確かに、広辞苑にすら「他力本願」の語を「もっぱら他人の力をあてにすること」と第二義とはいえ解説している現状から、すでに日本語として定着していると言う人もあることは事実である。
しかし、少なくとも浄土真宗の教えの流れを汲むものとして、宗祖親鸞聖人が九十年の生涯をかけて到達された境地、阿弥陀仏の根本の願いである、他力本願によってのみ、凡夫である私が救われる道はないと、私どもが歩むべき道を表す言葉である「他力本願」の言葉を、脱却すべき人任せの無責任な生き方と誤用されたまま、手をこまねいているわけにはいかないのである。
実は「はらから」第5号・6号(昭和五十七年発行)においても他力本願を考えると題し同じような誤用問題について記したことがある。(時の首相、鈴木善幸氏の誤用発言)
実はこうした度重なる他力本願の誤用問題が起こるということは、そのまま私たち浄土真宗門徒自身が、他力・他力本願の言葉をきっちりと受け止めているかが問われていることに他ならないだろう。
少なくとも、他力とは人任せの無気力で無責任な生き方などではない。宗祖の九十年、蓮如上人の八十五年という、お念仏の尊さを伝へ続けられた生涯を貫く力強さと情熱は何処からきたものなのか、よくよく考えさせてもらおうではないか。

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