同窓会

この2月1日・2日(2003年)と、住職の高校時代の同級生が、千福寺の「お説教と蕎麦会」に合わせて、福井まで来てくれた。鹿児島・関西・東京在住の合計15名。鹿児島出身の私にとって、ほとんどが高校卒業後以来初めて会う同級生。
せっかく、お寺に集まってくれるのだから、恩師と同級生の物故者追悼法要を営もうと提案したら、全員一致で賛同してくれた。すでに恩師7名と10名の同級生が亡くなっておられた。
そのうちの一人、Y君は、1993年の鹿児島大水害で、帰省の途にあって、列車が崖崩れに巻き込まれ、鹿児島湾に二歳のお子さんと一緒に投げ出された。残されたのが奥様と二人の小学生のお子さん。
彼は早稲田大学を卒業後、東京で高校の教師を務めており、作家の高史明氏の主催される仏典の勉強会に参加していたと後になって知った。その高史明氏が彼の死後、彼との交わりについて触れて書かれたものがあることを、後輩が教えてくれた。
高史明史は、お子さんを12歳で自死という形で亡くされた悲しみ・苦悩を通して歎異抄から親鸞聖人の教えに帰依された方である。高氏はその後、会われたY君の母上にこう話されたという。
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私は顔がこわばるのを意識しながら、あえてお母さんに言ったのでした。
「いまのその悲しみは、お母さまの立場から亡き子を見ているときの悲しみです。亡き子のほうから見られていない。仏さまはお母さんに、どういうお母さんであって欲しいと願っておりましょう。その仏さまからのまなざしを抜きにしては、愛別離苦の悲しみの中に仏さまの智慧を学ぶことはできないのです。悲しいときは、仏と一緒になって、手を合わせ、心ゆくまで泣くといいのです。泣いて泣き尽くしてゆくなら、仏もまた泣いていることが、その涙の中に感得されましょう。」
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私達人間はものを見るにも、考えるにも、そして悲しむにも自分中心の視点しか持ち合わせていない。しかし、その自分を変ることなく倦(あ)くことなく照らし続けてくださる眼差しがある。私の悲しみを自らの悲しみとしてくださる方があるのである。
Y君の奥様そしてお母様があの悲しみの中から、亡きY君の願い、仏様の願いの世界に聞き触れられんことを切に願うばかりである。         住職

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