前を訪へ/さきをとぶらへ

親鸞聖人は畢生の著「教行信証」を結ぶに当たり、道綽禅師の「安楽集」から御文を引かれます。「前に生まれん者は後を導き、後に生まれん人は前を訪へ、連続無窮にして、願わくは休止せざらしめんと欲す。無辺の生死海をつくさんがためのゆえなり」と。「訪(とぶら)う」とは、現在多く用いられている「弔う」と同じ意味であり、問いたずねるということ。
前に生まれた人は、後に続く者に、道を教え、導いて下さい、そして後に生まれた人は、先人に進むべき道を問い訪ねていきましょう。そしてその営みがあい続いて、途絶えることのないように。なぜなら、一度きりの掛け替えのない苦悩のいのちを生きる者どうしなのだからと。
お浄土のお法が、今日の私に伝えられるために、どれほどのいのちの歴史があったのか、ということに思いを馳せましょう。それは私のいのちに連なる祖先の方々は無論のこと、まさに無数ともいうべき有縁の方々のいのちの歴史。
人は、人なるが故にいのちの不安ともいうべき苦悩を引き受けねばなりません。私はどこから来てどこへ行くのか。この私のいのちにどういう意味があるのかと。
幸いにして私たちは、お浄土のあることをお聞かせにあずかりました。必ず仏となるべきいのちを生きるものであることを知らせていただきました。このいのちの帰るべき方向と、如来様からそのいのちは掛け替えのないいのちと願われ続きてきたことを、先人は永代に伝えるために、このご本堂を私たちにまもり残して下さいました。
阿弥陀様のご本堂があり、ここで浄土のお経が読まれ、説かれ続ける限り、後に生まれるものも、この苦悩の人生を空しく終えることなく、同じ一つのいのちの世界に帰って行けるのでしょう。
永代祠堂経。後に生まれた者として、先人のお心を訪ねつつ、前に生まれた者として後に続く人に、そのいのちは阿弥陀様から願われたいのち、お浄土に帰る尊いいのちですよと伝え残してゆく大切なご法縁。
(善巧寺便りへの投稿)

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