新聞と本と

  

私のコンピュータのお師匠さんでもある友人から、今までの千福寺の告知板を今流行のブログなるものに移行する旨の通知があったのが、先月末。
実は私ども福井の西本願寺のホームページに関しては全くのおんぶにだっこ、そしてオムツまで彼のお世話になってきたのが実状である。ちなみに彼はお寺の住職ではない。まったくのボランティアで我々に関わってきてくれていた。彼からは、とにかく情報を発信せよ!!と尻を叩かれどおしだったが、彼の意向に応えられないまま、今日にいたった。

ブログに関しては、人様の書かれたものに目を通していたはものの、自分がそれを書く側に立つとは思っていなかった。年に数回の寺便りを告知板にアップしてそれでお茶を濁してきたが、情報というものの見方・考え方を大いに変えなければならない時代に既に突入していることくらいは、私にもわかる。

 新聞と本との関係を思う。毎日の湯気のたつような新しい情報と、長い時間をかけて人目に触れることを必要とする情報と。

 無論新聞にも長く保存されなければならない情報もある。しかしその役割分担・住み分けの必要なことは論を待たない。

 実は私の寺の告知板も、門徒さんから、長い事書き換えがないですね、と言われたことも一度や二度ではない。(私の寺の告知版の内容が、永久保存に価するということで書き換えなかったのではない。面倒だし、次の寺便りの発行のときに書き換えようと思っていたというだけの理由による)

 ブログ形式の情報提供を新聞型とするなら、本のような、長い時間を要して人に受け入れてもらう、告知し続ける必要のある情報もある。
両方の使い分けのできる情報提供者たらんことを目指して、凡暗ボンさんがいよいよ船出することになる。皆さんの叱咤激励(もとい、叱咤は私にはいりません。激励だけで結構です)を頂きながら漕ぎ出します。

さてどうなりますことやら。

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