あえてよかった

このタイトルの法話で有名な、富山県善巧寺の前住職 雪山隆弘師。平成2年9月17日がご命日。満50歳の誕生日を夏に迎えたばかりだった。

フジテレビが夕方のニュースで彼の逝去後、時をおかずにドキュメンタリー風に取り上げて彼の生き様・死に様を放映した。今では押しも押されもせぬキャスター安藤優子さんが、上田アナウンサーとのやり取りの中で、コメントを求められ、言葉に詰まった様子が初々しかったというと彼女に失礼にあたろうか。彼の活動を発病以前から(癌)密着取材していた北日本放送製作の「親の目・子の目」のスタッフは、心ならずも彼の発病・そして逝去までを「さようならの贈り物」という番組に仕上げることになる。

これらの3本のプログラムを一本のテープにまとめ、彼がその人生を終えていったと同じ50歳になった3年前、同じく50歳を迎えた縁ある人に、観て貰おうと思った。

高校の後輩にも、ネットを通じて知り合った先輩にも。今日また横浜の先輩からの要望にお応えして届けた。総計100回近くになったのではないか。

雪山師から頂いた沢山の贈り物。死して私のために残してくださったもの。人の死がこれほどに深く沢山のことを教えてくれることを身をもって知らされた得難いお付き合いだった。

あのころ、(雪山師の逝去当時)まだDVDなんてなかった。今だったらもっと鮮明な画像で保存できていただろうな、と先日購入したDVDレコーダーを再生しながら少し残念な思いがした。しかし、本末転倒してはなるまい。その技術によって受ける恩恵の中身そのものが重要なのであって、技術の発達そのものが目的ではないからだ。

中身そのものとは、彼からの、浄土へ先に往くものとしてのメッセージ。少々画像の劣化があっても、ちゃんと私が、観るものが受けとめるかにかかっている。

IT時代の寵児とテレビ会社の戦いが長期戦になるという。伝えなければならないメッセージを、コンピュータ社会もテレビも見失って、あってもなくてもいい情報の垂れ流しだけに終始している現状なら、どっちが勝っても負けても痛くも痒くもないといったら、無責任に過ぎるか?

 しかし、今のテレビのプログラムなんて日本人をお金かけて○○に仕上げる片棒を担いでいるとしか思えない。
いつか読んだよそのお寺の掲示板にあった言葉を思い出した。

  「にせものばかりみていると ほんものも わからなくなる」

先輩の思い出から、話が大脱線。
    雪山先輩のお寺のURLはここ↓

http://www.zengyou.net/

  若住職が頑張って、素敵なホームページに仕上がっている。
  ちょくちょく覗いてみてあげて。

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