寺報

 寺報とは、お寺で発行する新聞のこと。「てらだより」と書けばあっそうかとすぐわかっていただけるだろうが、寺院関係者ならいざしらず、一般の方にはまず言葉の説明から入らねばなるまい。

千福寺に入寺して最初に取り組んだ教化活動らしきものが寺報の発行だった。最初は手書きの原稿を印刷屋に届け、活字を拾ってできあがったゲラ刷りを校正して印刷にかかった。
次にワープロがぼちぼち普及し始めた頃、原稿はワープロのそれに代わったが、つまり手書き原稿がワープロ原稿にかわっただけのこと。
パソコンの普及とともにワープロソフトがレイアウト機能を謳い、一太郎・JG・PageMakerそして、現在のPubulisherと移行してきた。版下まで自前でやり、それを発行部数分印刷してもらう。この形態は現在でも変わらない。

レイアウトまで自前でやるようになり、レイアウトに割く時間が馬鹿にならないと思い始めたのはいつ頃からだったろうか。そりゃそうだろう。印刷業界にはその道のプロデザイナーがおり、訴求力・訴求効果を競い合っているくらいだから。

全く同じことがこのネットの世界にも当てはまる。ホームページの顔ともいうべきHOMEのデザインセンス如何で、アクセス数にも大きな影響力をもつだろう。
ここに来て、ブログが大流行だという。レイアウトに時間をかけることにしり込みしていた、あるいは最初からホームページを持つことを諦めていた層が、これだったら自分は文章を書くことに専念できると飛びついたのであろうことは想像に難くない。
便利なツールが考え出されたものだと思う。
  しかし、しかしである。ツール=道具であるからにはやはり使いこなせなければならない。そのためには道具を我が物にするための修練は必要。というわけでいろいろあちこちをいじくりまわっていたら、レイアウトが変わってしまって、もう元にもどせない。困ったもんだ。寺報を仕上げなきゃならんというのに。

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