がんばれ仏教/上田紀行著

NHKブックス(NHK出版)

高校のある先輩から、こんな本が出たよと送っていただいたのが、表題の「がんばれ仏教」という本。タイトルが著わすとおり、仏教、ことに仏教伝統教団に対するエールである。著者は僧侶ではなく、東京工業大学で社会学を教える大学の先生。
しかしその内容は、単なる仏教教団に対する応援に終始するものではなく、結構厳しい批判が続く。
例えば、葬式仏教と批判されるようになって久しいが、批判されているうちはまだいい。葬式と法事しかやらない「葬式仏教」が「葬式」すら執行できなくなる要因が現代社会の中で確実に広がりつつあることに、仏教者がどこまで気づいているか。

現代社会においては、お寺の存在意義そのものが問われているのである。しかし現代の苦悩と向き合おうともせず、僧侶は旧態依然と今までの檀家制度にあぐらをかいている、とこんな趣旨で厳しく指摘する。

大都会のお寺ならまだしも、田舎のお寺は、日ごろから檀家さんとの交流はあるし、事情が異なると、主張したいところだが、そういいきれない面を抱えてるのは事実である。「はらから」六十九号(今年の三月号)でも記したことだが、福井でも永代経法要・報恩講・そして毎月の定例法座の参詣が激減し、法座の縮小、取りやめを余儀なくされている寺院は少なくない。

浄土真宗に限らず伝統仏教教団は江戸時代に確立した檀家制度に支えられてきた。その檀家制度の基盤が押し寄せる都市化の波の上で揺らいでいる。都市化とは都会のような町並みに変わるという意味ではなく、家族制度・地域の人間関係・寺檀関係が以前と全く異なる形態に変わるということを意味する。

家の核家族化は確実に家庭の中での親から子への伝承力を弱めた。例えば仏事に関する習慣一つとっても若い世代にとっては知らないことばかりになりつつある。そのうち報恩講や永代経法要の意味もこのままでは怪しくなってくるであろうことは想像に難くない。

寺院、僧侶に対して厳しい批判を投げかけながら、しかし同時に著者は、出あった数人の僧侶を例に挙げて、それらの僧侶がまさに現代の苦悩に向かいあい様々な活動をしていること、そしてそれらの住職の寺が檀家・地域の人にとってなくてはならない存在になっていることを紹介する。最後に著者は、この本をこう結ぶ。

「高度成長を続けていた長い間、私たちは寺などという存在を忘れてきた。心の問題とか、苦悩の問題などはどうでもいい、お寺は葬式さえやっていればいいのだと、経済的成長のみを目指して走りつづけてきたのは私たち自身ではなかったか。寺院が現在のようになってしまったのは、とりもなおさず私たちが寺に何も期待してこなかったからである。そしてその期待感のなさに比例するように、寺はまさに力を失っていった。日本の寺を良くするも悪くするも、それは私たちの意識にかかっている。」と。

また著者はユーモアたっぷりにこういう。「私はこんな日がくることを夢想する。子供達がなりたい職業《一位プロ野球選手・二位サッカー選手・三位住職》などという日がくることを。あんまり人気職業になっても困るかも知れないが・・・・。
私は僧侶と僧侶を目指す人たちに言いたい。《ボーズ・ビー・アンビシャス》と。(※有名な札幌農学校教頭クラーク博士の《青年よ、大志をいだけ》をもじったもの)そして私は日本文化の偉大な伝統に対していいたいのだ。がんばれ仏教!と。」

著作を読み終え、住職が毎月出講している富山の善巧寺の総代さんの言葉を思い出した。
「お寺は眠っていてはいけない。眠らせておく門徒もいけない。」
お寺は何故なければならないのか、仏教は聴くに価するのかしないのか、そして私たちの千福寺はどうあるべきなのか?安易に結論を出す前に、僧侶・寺族・門徒とまさに手を携えて問い続けてゆくことが今一番必要なことではないだろうか。果たして千福寺は?重い課題である。しかしまた引き受けがいのある課題でもある。

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