寺報

寺報と書いても一般の方には、スッとは理解できないだろうと思う。寺便りとかお寺の新聞とかならすぐわかっていただけるだろうが。
お寺が一つの「ギョーカイ」であるということは、こうした「ギョーカイ」用語が頻繁に使われるということだけでもよくわかる。

本願寺の現門主が門主を継承するにあたりその抱負を述べられた(ギョーカイ用語では教書と呼ぶ)文書がある。結びにあたり「わたしは閉ざされた安泰にとどまることなく・・・」と宣言された。
リンクを張ったバーチャル寺院「彼岸寺」の松本圭介君が、この一段をうまいことベランメー調で言い換えていた。こんどその文章をご紹介しよう。

取り留めのないことをかいているのも、実はその寺報の締め切りが迫っているのに(10日から東京築地別院常例出講ゆえ、それまでに仕上げておかねばならない)一向に遅々として進まないからである。パソコンに向かっていたらついついこちらの「そらごとたわごと日記」の方に逃避してきている自分がいる。

全く脈絡なく、写真は2月の鹿児島別院仏婦大会の昼食風景。満堂500人以上の参加者でした。

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