金沢城

姉と甥をつれて金沢観光に行った。兼六園で何と甥がイギリスの大学のクラスメート(シェフィールド大学)のクラスメートにばったり会った。彼女は甥と同じく日本文化研究でこちらは金沢大学に留学中。春休みに家族がイギリスから金沢へ来てくれたので、兼六園を案内しているところだった。
こんな偶然がやはりあるんだ!

兼六園は言わずと知れた前田藩の別邸。隣接する金沢城はもともと本願寺の金沢御堂(尾山御坊)があったところである。加賀は一向一揆ののち「百姓のもちたる国」といわれる、真宗門徒が領主をいただかず、、自治国として共和体制を百年維持したところ。その中心にあったのが金沢御堂。前田利家が信長の命をうけこの地を制圧してその後、秀吉から領主として拝領した。

五木寛之氏が書いていたが、(彼は奥さんの郷里である金沢にしばらく暮らしていた事がある)、加賀百万石を加賀の人は自慢するが、それ以前の、当時、世界に類を見ない自治共和国だったことをもっと誇りにすべきではないかという。
まあ、鹿児島の人が島津氏のことを悪く言わないと同じで、加賀の人は前田氏のことを悪くいわない。前田の歴代藩主は文化興隆に力を注いだから、現在の金沢があるのはその成果であることは間違いないことだろうが。

大阪城が石山本願寺を立ち退かせたあとに建てられ、ここ金沢城も金沢御坊を破却して建てられた。金沢城公園を散策しながら、歴史音痴の自分ながら歴史の不思議に思いを巡らせた。

再現された五十間長屋の前で姉と

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