オカルト 占い (はらから76号)

ここへ来てオカルト的な要素を取り入れたテレビの番組がそこそこに視聴率を稼いでいるという。
新聞でもテレビでも、今日の占いを掲載し放送している。
お寺に自らの足を運んで仏法を自らの身にかけて聞こうとする人が確実に減り、お手軽に安直に自分の人生をあるいはその一部をテレビの占い番組などに委ねる人が増えている。どこの誰かも知らず、ただ頻繁にテレビに出ているというだけで、私の人生に責任をとってくれるわけでもない人物の占いや、宣託に耳を貸し、影響されて怖くないのだろうかとさえ思う。貴方の前世が見えるという霊能者もいるらしい。
宗旨は異なるが、平安時代に弘法大師空海という史上空前の天才が日本に出現した。空海の著述に秘蔵宝鑰(ひぞうほうやく)というものがある。その序分に「生まれ生まれ生まれ生まれて生のはじめに暗く、死に死に死に死んで死の終わりにくらし」という有名な言葉がある。
人はみな生まれることを繰り返し、死ぬことを繰り返しているが、しかも生死のもつ本質的意味にめざめることをしないという厳しい指摘である。
問題なのは前世ではない、今なのだ。このいまのいのちに本当の安らぎをもたらすものは、死に臨んでも色あせる事のないいのちの意味と方向を知ることである。何のために生まれてきたのか、どこへ向かって生きてゆこうとするのかを問い続けるより他に、真実の平安に至る道はない。
マスコミに従事される方に対して失礼な物言いになるが、今のテレビの流す番組のうち、人間をして高める方向性をもつどころか逆に、人間の持つ一番卑しい浅ましい面に取り入って視聴率や売上を伸ばそうとしているものがあまりにも多くないだろうか。何を大切にして生きるべきなのか、真に何をよりどころとして生きるべきなのか。混迷は益々深まり、時代は明らかにその目指すべき方向性を見失っている。
我田引水といわれようと敢えて言いたい。私達が頂いているお念仏は、占いやまじないや現世祈祷に振り回される心から自由になり、たとえおぼつかなくとも一歩一歩地に足のついた生き方に導いてくださる教えである。地球上に六十数億の人が生きていて、その中に生まれたての赤ちゃんから、働き盛りの人、まさに今息を引き取ろうとする人まで皆掛け替えのないいのちをいきておられる。占いなどの一時の気休めで人は救われる事は決してない。自らのいのちを充実して生きること、それが自らのいのちに対する責任である。テレビの視聴率稼ぎに駆り出された霊能者とやらが代わってくれるわけではない。
私達はかたじけなくもお浄土へ帰るいのち、仏となるべきいのちであることを知らしていただいた。そこに真の安らぎがあることを知りえたものこそが真の自由人ではないか。 住職

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