今日の一日

9時半過ぎからO家の3回忌。法事の後、息子さんであるO家の当主に、足羽山の墓地陥没事故のその後のことを尋ねられる。確かに現地に墓地をお持ちの方にしてみれば、来月で一年になるというのに、まだお墓参りも出来ない状態というのは、ご不満もあろう。自分の知りえた限りのことはお話し、市のホームページ、またこの「千福寺からのお知らせ」も見て下さいとお願いした。

11時から、T家50回忌。ご当主はこの法事の直前まで入院しておられたそうで、今日の法事か勤められるかどうか心配したが、何とか回復して今日の日を迎えられたとしみじみおっしゃる。

午後T家の満中陰。亡くなられたのはコーヒー販売の会社を自営しておられた弟さん。店の従業員の方が後を引き継いでくださったので、おとくいさんにも迷惑かけることなくいけましたとほっとしておられる様子。
ご自分は自分の田を含めて何十丁という大規模経営の農業を営んでおられる。それでも米つくりの経営的な厳しさを語られる。知らない事ばかりで、一つ一つうなづきながら聞かせてもらう。

夜、島田洋七氏の「佐賀のがばいばあちゃん」の続編、「笑顔でいきんしゃい」を読む。一昨日も書いたが、明らかにこのおばあちゃん、毎週、寺参りを欠かさなかった念仏者。一日中口からお念仏の声が絶えなかったという。

                笑顔で生きんしゃい

残念な記述が一箇所あった。「ばあちゃんが天国に云々」の記述はあきらかに間違いであると断定していい。我々日本人が「天国」なる言葉を頻繁に使うようになったのは、ここ数十年のこと。このおばあちゃんのくちから天国なる言葉がでたはずはない。でるとするなら間違いなく「お浄土」もしくは「極楽」だったにちがいないはずである。

仏式の葬儀でありながら、弔辞や弔電に天国云々の表現が頻繁に出てくる。それほど我々への刷り込みは進行している。ではその人たちに天国のイメージがしっかりと確立しているかというと、これまた全く曖昧模糊。

浅学ながら、聞くところによると、聖書の中にすら天国という言葉はないとか。
「時が満ち、神の国は近くなった。悔い改めて福音を信じなさい」くらいらしい。

話が飛んでしまった。そちらの方に詳しい方があったら、ご教示いただけたら幸甚である。

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