奇跡のほんとう

自分は週刊新潮の池田晶子女史の「人間自身」の愛読者である。9月14日号の表題は「奇跡のほんとう」

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生きていることは奇跡的だと礼賛するなら、死ぬことだって同じく奇跡的なことのはずである。どうして生きていることばかりを奇跡といって、死ぬことの方を奇跡だとはいわないのか。

「生命の神秘」と口では言うが、本当の神秘を感じているのではないからである。そういう場合の生命礼讃の本意は、たんに、生きていればいいことがある。いろいろ楽しいことができるからといった類のものである。だから楽しいことができなくなると、「生きていてもしようがない」と、こう簡単に裏返る。それでどうして生命の神秘なのだろうか。

中略

人生というものを、生まれてから死ぬまでの一定の期間と限定し、しかもそれを自分の権利だと他者に主張するようなのが現代の人生観である。これはあまりに貧しい。自分の人生だと思うから、不自由になるのである。しかし人生は自分のものではない。生きるも死ぬも、これは全て他力によるものである。
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以前から彼女の考え方は仏教的だと思いながら愛読してきたが、そのものずばり「他力」という言葉が女史の書いたもののなかに出てきた。
よろしかったらご一読をお勧めします。

関連サイト
http://www.nttcom.co.jp/comzine/no011/wise/index.html

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