お参り先にて

報恩講廻り先のT家にて。お正信偈のお勤めの後、当家のご命日でもあり引き続き仏説阿弥陀経を読む。奥さんの読経の声が小さく聞こえたのでスピードをを落とし一緒にお勤めした。

終わってから奥さんが仰る。「住職さんなんかは、お経を全部覚えていらっしゃるんでしょう?私なんか字を追っかけるのに精一杯で、ついてゆくのがやっとです。お経の意味も全く分からないし」

「阿弥陀経は覚えていますが、大経や観経は経本がないと無理です」
ふと口に着いて出た言葉が、「お経の意味はわからなくても、読経の後姿が本当にあり難いと仰っていただけるお坊さんも昔はおられたと聞いています。それを思えば恥ずかしい限りです。(私の読経の後姿をありがたいとは思われなかったでしょう?と内面の声)」
坊さんはお経を読むだけでお布施を貰う楽な仕事だと皮肉をこめて言われる事もあった。それだけで(お経を読んでいる姿)あり難いといわれる僧侶って心底すごいと思う。

先日の日野皓正氏のトランペットを思い出した。あれがプロだ。トランペットを吹けるだけで自分は幸せだという生き様が聞くものをも巻き込んで幸せな気持ちを共有できる。

読経して法話してお布施を貰うプロたらんという志(こころざし)がない僧侶が仏教をだめにしてきたのかも。まぎれもなくその責任は私にある。

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