中村久子さん(はらから77号)

苦難の人生を支えたもの
飛騨高山の中村久子(1897~1968)さんゆかりの真蓮寺を訪れた。両手両足を脱疽という病で失いながら、七十二年の生涯をとおとく生き抜かれた念仏者である。
生前の中村久子さんをご存知の真蓮寺ご住職の法話を聞き、あらためて彼女の人生を支えた親鸞聖人のみ教えの確かさを思った。
彼女の父は愛情豊かな人で、周りから「だるま娘」と陰で呼ばれていた彼女を何としてでも自分の手で育てとおしてみせると頑張った。
彼女を思うあまりであろう、当時飛騨の地に入って来たある宗教にすがり、経済的に辛い中からも功徳を積めば何とかなるのではないかと入れ込んだ挙句、大きな借金を抱え結局所帯を失うと同時に、自分も急逝した。
彼女の苦難はその後も続く。両手両足のない子が生きるためには何が必要か、母は心を鬼にして当時の女性が身に付けておかねばならなかった生きる上での術(すべ)をしこんだ。
書道・裁縫など、極端に短い両手と口とを使いながら健常者以上に見事にやってのける彼女のわざは、結果的ある時代には見世物小屋に身を置きながらではあっても、自立していきることのできる力となって経済的には彼女を支えた。
しかし本質的に彼女の一生を支えとおしたのは、歎異抄を通して知らされたお念仏の世界に他ならない。
信仰をもてば、信心すれば、この失った両手両足がトカゲの尻尾のように再び生えてくるか。そんなことはありえないとは、赤ん坊のころから数え切れないほど何度も願い、その願いに裏切られてきた彼女の身体自身が一番身にしみて知り抜いていた。
ご住職のお話の中で、一番心に深く残ったのが、彼女は自分の今の現実から逃げなかったということ。両手両足がないという今の事実を見据え、それを引き受ける覚悟がお念仏によって彼女のうちに恵まれたのである。
信仰の救いを「要するに心の持ちようなんですね」と受け止め、あるいはそう口にする人がある。はたしてそうか。両手両足を失い、しかし常人以上の仕事をこなし、また障害を持つ人に連帯し、お念仏との出会いを感動を込めて伝えつづけた中村さんの信仰は「心のもちよう」などという浅薄な言い草の中におさまるものでは決してない。
のた打ち回るような苦しみ悲しみがいかに転ぜられていったのだろうか。
しかしこればかりは、私たち自身が、彼女ほどの凄惨な苦労ではないにせよ、悩みを抱え涙を流しつつ生きる中から、お念仏にあい、自らの人生の歩みの中で確認してゆくより他はあるまい。味は口にその食べ物を入れなければわからぬように、お念仏の救いもお念仏することによってしか確かめる事は出来ないのだから。 住職

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