転ぶ

朝から福井市内I地区報恩講。夕方まで昼食を挟んで8軒。
午後のF様宅の玄関先で転んだ。道路と家の敷地の段差に足が上がりきれていなかったからである。お年寄りが敷居の段差で転ぶとはよく言われること。ゆえに最近のバリアフリー住宅には廊下と座敷の段差がない。

カルーク足を上げ、段差を超えたはずが、足がひっかっかってつまずいた。

よろけつつ、スローモーション映像を見るように、コンクリートの地面が見る見る顔に迫ってくる。(あぶないぞ、倒れるじゃないかと脳が警告を発した)

手をつく。(手を出せという脳の指令に反射的に手は反応した)

この遅さならついた手で顔をかばえるだろう。(と脳は判断している)

地面に手はついたが、ところが手が体重を支えきれない。(えっ、何でだ!と脳は支えの腕の腕力のなさに愕然としている)

支えの手を押しつぶすかのように、体は容赦なく地面にたたけつけられた。

膝が、支えた手のひらが、そして顔の左半分が地面にぶつかった。

この春、新調しためがねが顔から飛んでいった。

不様なること極まりない。
つらつら思うに、段差につまずいたのは、このメガネのせいかも知れない。眼鏡屋さんがあの時言ったもんな。二重焦点のレンズは慣れると便利ですが、足元の距離感が狂うときありますから気をつけて!と。

足が段差を超えるまであがりきれなかったのではなく、メガネのレンズを通して足元をみた脳が、この程度足を上げればよいと判断したに違いない。
それはそれでよかろう。メガネのせいにしておくとして、しかし、しかしである。
躓きバランスを崩して倒れそうになったこの体をふんばって支えきれなかったのは紛れもないこの足腰である。これだけはどう言い訳してもごまかせない事実である。確実に足腰に、老化が忍び寄っていたのだ。

ころんだはずみでちぎれた念珠と、ひん曲がったフレームのメガネを手にし、そこはかとなく老いるということの哀愁を感じさせられた今日の報恩講廻りであった。

(これより独り言  家の敷地の中で誰も見ていなかったから良かった。
 衣を着たでかい図体の坊さんが転んだ図なんて、とても見られたもんじゃないもんな) 

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