身自当之無有代者

朝のお勤めの前に電話が鳴る。市内のご門徒さんから息子さんが急逝されたとの悲痛な電話。
お朝事を後回しにしてとりあえず駆けつける。仏間にはすでに葬儀社の社員の手によってご遺体の処置も終わっていた。
お勤めと白骨の御文章を拝読。ご遺体の顔を覆う布をご家族の了解を得てとると、それこそ眠っているとしか思えないような穏やかな綺麗な顔。髪と額をなでると、しかしその冷たさは亡くなられたことを否がおうでも認めざるを得ない独特のもの。

23歳の生涯だった。同じ年頃の息子を持つ親として、ご両親の心に思いを致したとき思わずこみ上げるものが。お悔やみの言葉も見つからないまま、何か話すのだが、声が震えるのを止められなかった。足元に正座していた弟さんが声を殺して泣き出した。それまで必死に耐えておられたのだろう、ご両親そして祖父、祖母、堰が切れたように涙にくれる。

寒い玄関の外まで見送りに出てこられたおじいさん、「御前、わしはもう、八十八になる。本当に、本当に代われるものなら代わってやりたかった。あの子はまだ23だよ。代わってやれなかった。何もしてやれなかった」と肩を震わせ、声をあげて泣かれる。自分はと言うと、おじいさんのの震える肩に手を置き、「辛いね、本当に辛いね」と言葉をかけることしか出来なかった。
「早くから来てもらって済みません。どうぞ気をつけてお帰りください」と見送って下さった。

人、世間愛欲のなかにありて、独り生れ独り死し、独り去り独り来る。行に当りて苦楽の地に至り趣く。身みづからこれを当くるに、代るものあることなし。
          『大経』の教説が厳しく迫ってくる。

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