戦没者追悼法要

本山晨朝のお勤めの最中、お正信偈から念仏和讃に変わるところで、総御堂を後にする。大丈夫だとは思うが、念のため早めに京都を発つ。

渋滞もなく、早めに福井に着いた。本堂のお朝事を勤め、リンゴをかじってT地区へ向かう。この地区の戦没者追悼法要の法話を依頼されていたのである。
真の追悼とは虚心に亡き人の想いを受け止めてゆくことに尽きるのではないか。
昨日の仏前結婚式を引き合いに出しながら、人間は誓いを建てても言い訳、弁解を繰り返しながらそれを曲げる、あるいは忘れる存在ではないか。しかしそのときこそ、誓ったことを思い出すことが誓いの本質なのではないか。

敗戦のとき、日本人は誓ったはずではなかったか、もう二度と戦争は、殺し合いはイヤだと。原爆の最初で最後の犠牲者の悲しみはもう味わってはならない、味わわせてもならないと。

対馬海峡を隔てた隣国に厄介な国がある。核弾頭を日本に向けている、なら我々日本も・・・という状況の中でこそ頭を冷やして、あの時の誓いを思い起こす事が真の追悼ではないかという自分の思いを話させてもらった。

夕刻、本堂屋根修復工事業者A住建社長との打ち合わせ。屋根の色をどうするか、明朝武生の同質の屋根の建物を見に行く約束をする。

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