門信徒会運動研修協議会

長いタイトルの(漢字11文字)研修会が西別院の小ホールを借りて開催された。住職・寺族・総代・衆徒(しゅと=どこかの寺院に所属して僧籍を持つ住職以外の僧侶)が一堂に会して学びを深めようという研修会。
テーマもずばり、「開かれたお寺―お寺の魅力とは」
テーマは自身は明るいはずなのだが、まことに重たいテーマである。現実のお寺の抱える問題がテーマの明るさを許さないからである。
伝統教団の立たされた(浄土真宗に限らない)時代の大きなうねりの波に飲み込まれて、アップアップの溺死寸前の現状を思えば、起死回生の特効薬なんぞないことは今日の参加者はそれなりに自覚しておられるだろう。

しかし衰退を指をくわえたまま拱手傍観しているわけにはいかない。分科会で出された、団塊の世代に対する働きかけ、総代さんたちの口からでた日曜学校の復活など前向きのご意見を受け止めながら着手しなければと思う。

今世紀の中ごろには、末寺の数が半分になると予想される教団もあるという。必要とされないものは淘汰されてゆくという意見もあろうが、しかし我々浄土真宗のすわりは、大無量寿経に説かれた「不請の法 ふしょうのほう」(人間の側から頼まれたがゆえに説かれた教法ではなく、何を人は本当に願うべき事なのかも知らぬ存在であることを見抜かれたがゆえに、悟りの世界からの願いとして説かれた法=請われずして説かれた救い)である。
ここを見失ったら他力もその成立根拠を失うし、必要とされないものは淘汰されて当然という経済効率最優先の論理に太刀打ちできない。本当は人にはお念仏がなければならないんだということを、縁を頂いている我々がどこまで血肉化できているかどうかが問われていると思う。

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