通夜

M家の通夜。6時半より一般会葬者の通夜、7時より町内の方々による通夜と二段構え。7時の通夜では、一緒にお正信偈をお勤めくださる声がホールに響いた。
通夜はこれでなくては。その意味で通夜らしい通夜、ありがたい通夜だった。

葬儀が葬儀らしくなくなったと言われるようになった。葬儀社のホールで勤めるようになったからだという人もあるが、自分はそうは思わない。

どこまでも会葬者の意識による、と思う。
今まで3回、通夜のお勤めを中断して注意した事がある。ここはおしゃべりの場ではない。一人の方がその方にしか生きられない人生を生き、その命を終えてゆかれたという厳粛な事実の前に私が立たされているということをに気づかされるということを抜きにしたら、通夜も葬儀も厳かならざる、たんなるセレモニーに過ぎなくなる。
一人の方の死という厳粛な事実に対して、威儀をただしその死に何をこちらが聞いてゆくのか。

そのような意味のことを法話に代えて話さしていただいた。

カテゴリー: JazzBose空言戯言日記 パーマリンク

コメントを残す