徳光報恩講

昨日、手伝いに帰省した三男と二手に分かれて徳光地区の報恩講。寺当番のAさんがおおよその廻る順番を皆さんの予定を聞いた上で振り分けてくださったので、スムーズに廻る事が出来た。

この地区は、昼にお寺番(お道場さん)宅に集まり、揃ってお正信偈を唱和し、法話を聞いていただいてからお斎をいただくという、総報恩講(そうぼんこう)のありがたい習慣が現在でも維持されている。
写真はそのお斎(お精進料理です)と、出席の皆さん。

時代は何でもかんでも簡略化の名のもとにこうした麗しい、また尊い聞法のご縁となる習慣を切り捨ててきた。
便利さと快適さの影で大切なものを失ってきたのが戦後の日本ではないかとは誰しもが口にする事である。その大切なものの具体的な形がこのような報恩講の寄り合いもそのひとつであろう。
今時まだそんな面倒なことをと仰る方があろう。その面倒さを切り捨てて私達は暖かい人間関係、仏縁を自ら放棄してきたのだ。
一度切り捨てたものを復活するのは至難のわざ。徳光地区の皆さん、どうぞこの習慣を大切に護りつづけてくださいませ。

お参りの残ったお宅を、午後に勤めてとなりの在所K地区に向かい2軒勤めて帰山。
夜、西別院にて拙寺の真向かいの福井中央クリニックの前院長さんの通夜が営まれる。お孫さんがたまたま帰省していた三男と同級生。よって三男をともない、お通夜に参列。

カテゴリー: JazzBose空言戯言日記 パーマリンク

コメントを残す