いよいよ来ました、初あられ

明け方、ひどい雷の音で目が覚めた。慌ててコンピューターの電源コンセントを抜く。鹿児島の兄がこの夏、直接落雷したわけではないのに、雷の影響でパソコンが壊れてしまったと話していたことを思い出したからだ。

8時過ぎ、S町の拙寺第三墓地に向かう。Y家の墓地移転に伴うお勤め。
10時より、諷経としての出仕を依頼されたので、西別院での葬儀に出仕する。福井の医師会の会長など歴任された事。親の反対を押し切って医学部に進まれた事など、弔辞を通して知らされた。

そうした弔辞の中で常套句として、幽明境を異とするという表現が使われることがある。

辞書をひけばわかることだが、
幽明
(1)暗いことと明るいこと。
(2)死の世界である幽界とこの世。冥土と現世。

すると当然
「幽明界さかいを異ことにする」
  死別して幽界と顕界とに分れる。死んで冥土へ行く。

ということになる。

よって、その延長上に「冥福を祈る」という言葉が続くわけである。

亡くなられた方は冥土へ行かれたのか?
少なくとも私は冥土へは行かない。勿体無くもお浄土へまいらせてもらうのだ。
行信教校時代にK和上が突然講義と関係なくこんな話をしてくださった事を思い出した。
「ワシもいつか死ぬだろう。あいつ死によったといわれるときが来るだろう。しかし、ワシのことをお気の毒だと言わんといてくれよ。ワシはお気の毒になるんとちゃうで(違います)。人はあいつ死によったというかもしれんけど、ワシは死ぬんとちゃうで、お浄土へ生まれてゆくんや。そりゃ、家族や遣り残した仕事もあったろうに、お気の毒にと言いたいんやろうが、人間の仕事はその意味じゃ全部遣り残しやで。しかし、人間としてうまれさしてもろて、本当に知らにゃならんことは、お陰さまで知らしてもらいましたと言い切れるものにであえたなら、お気の毒じゃないだろう。わしだけやない、君らもそうやろ!」K和上の言葉(文責 私にあります)

私が貴方の目の前からいなくなった事で、もし寂しいと思ってくださるなら、私のお墓の前でどうぞ泣いて下さい。でもね、冥福は祈らんといてください。私はこの上もない喜びを感じることができる世界にうまれさせていただいたのですから。いや私のほうこそ、貴方の苦悩の人生に寄り添ってその人生が虚しく終わる事の無いように念じつづけていきます。お念仏申してくださるとき、貴方にもそれが味わえる事でしょう。

ま、私はこんな遺書でも残しておきましょうか。

写真は、夜来の雪雷がもたらした置き土産。(今年初のあられ)

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