和讃講

朝から鯖江市水落地区報恩講を勤める。この地区の千福寺門徒は皆さん吉○姓だが、一軒だけ福○姓の家がある。もともと他地区からこの水落へ転入された方だと思う。(本家の親戚が他地区にある)

夕方までかかり、8軒のお参りが済んだところで法務員のY君と別れ自分だけ残る。和讃講というお講の報恩講が勤まるという。この地区の有志で組織され、戦前から続く男性のお講。ことしのこの和讃講の世話番が千福寺門徒の吉村さんで、お手次ぎの住職である私に、お勤めの調声と御伝鈔拝読と法話の依頼があった。

朝からの報恩講勤めでかなり疲労度は高かったが?、ご報謝である。喜んで勤めさせていただいた。
法話のあと、講員の皆さんと会食。自分もお相伴。教育問題から宗教問題まで色んな話題が次々と。

ある方からこんな質問が。

「御前(=ごぜん)とお呼びするお寺のご住職と、ごえんさん(これは御院さんの訛りであると指摘したが)とお呼びするお寺と格が違うように思うんですが、その使い分けは?」

困りましたね、返答に。ある程度その使い分けの基準はあるようだし、想像はつくのだが、どうなんでしょうね?とお茶を濁しておいた。

「あるお寺のご住職に、ご院さんとお声をかけたら、御院さんじゃない、御前と呼びなさいと自分で仰ったですよ」とも。

他県・他教区の者から見たら、ある意味で滑稽な呼び方に聞こえると仰った他教区のご住職もおられる。(御前は、寅さんの世界の話かと思ったそうだ)

「お寺によっては坊守さんをいくつになられてもお姫様と呼ぶところもありますよね。」

うーん、こちらも答え辛いですな。

ま、越前ならではの慣習として、意味あることなら残るでしょうし、そうでないなら、いずれ消滅する呼称ではないでしょうか?

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