吉崎御坊

あわら市に散在する門徒さんの報恩講廻り。午後にお参りしたKさんのお宅は、吉崎御坊の真下。現在吉崎には、東西別院と願慶寺、吉崎寺などの寺院が狭い地域にかたまって建っている。言わずと知れた蓮如上人がこの地に御坊を建立されてあっという間に日本の宗教地図が塗り替えられた淵源の地でもある。

この吉崎に生まれ育ち、結婚し子育てし、子供さんたちは金沢などに住まわれているが、80歳になる現在でもここに住まわれているKさんである。お勤めの後、ゆっくり吉崎の今昔を思い出深げに語られるKさんの話に耳を傾けた。

三百年以上にわたって続く、蓮如上人のご影の京都からの御下向。ご影をお迎えしての御忌(蓮如忌)法要のにぎやかだった頃の話を聞きながら、蓮如上人当時にまで思いを馳せた。Kさんが子供のころは、蓮如忌法要の期間中は小学校は午前10時でおしまい。あまりの人出で、学校どころではなかったからとか。

細呂木からこの吉崎まで参詣者のための乗合の船が列をなし、船を借り切った檀那衆が芸者サンたちを引き連れて御坊にお参りし、その足で山中・芦原・片山津温泉へと繰り込む。吉崎まいりと呼ばれる娯楽でもあったのだろう。
戦後は傷痍軍人さんたちが東西別院前、あるいはお山(蓮如上人当時の御坊のあった小高い丘)に喜捨を求めて列をなしていたなどなど。
蓮如忌期間中はこの吉崎一帯が押すな押すなの大混雑だったという話から、現在の寂び寂とした有様に、胸が痛んだ。

蓮如上人当時のみならず、戦後まだしばらくはの参詣者が引きも切らなかった状況から一変して現在のようになった話に、京都のご本山もよほど気持ちを引き締めてかからないと・・・・・と危機感を強くした次第。

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