割れても 末に あわんとぞ おもう

午前7時過ぎ、坊守と京福バスターミナルに向かう。先日おわたまし法要を務めたAさん、いよいよ今朝の高速バスで埼玉のご子息のところへ発たれる。
東京駅に着く時間にご子息がお迎えにこられることになっているそうだ。
ご本人には内緒だったので、びっくりされたが、でも本当に喜んでくださった。先日撮った写真をプリントしたものをお渡しする。

聞けば福井の家は手放さずそのまま残して置かれるそうで、折をみては時々帰省されるゆえとおからずまた逢えるだろうが、どんな形であろうと別れはやはり寂しい。しかし必ずまた逢える世界を持たせていただいた私達は、落語「崇徳院」の下の句、「割れても 末に あわんとぞおもう」のように、たとえどんな形での別れであろうとも、お浄土で逢わせて頂ける。たとえそれが死別であろうとも。
別離の悲しみに涙するものにとって、必ずまた逢える世界を知らされた事がどれほどの慰めとなり、支えとなり、励ましとなってくださるか。
大切な人を送るだけではない、大切な人をおいて逝かねばならないときもまた必ず来る。「先に参らせてもらうよ、まっているからね、その道を訊き損じのないように、ちゃんとお浄土の道を聞き開いてね」という思いのうちにこのいのちを閉じてゆける事が同じくどれほどの救いになることか、こうした別れを繰り返すたびにありがたく味わわれる。

その後、報恩講廻り一軒終え、今庄へと向かう。専精会会長を務めてくださってあるK家のご尊父三回忌法要。今朝の別れを紹介しながらの法話。

K家のある今庄合波(あいば)地区を流れる日野川(カメラ持参だったので)
  

割れても 末に あわんとぞ思う

お斎をよばれて、福井を目指す。別所町N家の三回忌法要と報恩講を務めたあと、昨年門徒になられたA家の報恩講を務めて帰山。

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