日別アーカイブ: 2008 年 1 月 15 日

御正忌報恩講

善巧寺様御正忌報恩講、お逮夜(午後の法座)よりお取次ぎをさせていただく。寒い中、お参りくださる方々とともどもにこの寒さの中で親鸞聖人が90歳のご生涯を終えてゆかれたことの意味を噛み締める。
覚如上人の御伝鈔はご臨終の描写を、他の段と異なり淡々と筆を進めておられる(と自分は感じる)だけに、親鸞聖人のご臨終の有様がリアリティーをもって読むものに迫ってくる。
「口に世事(せいじ)を交えずただ仏恩の深き事をのぶ。・・・・中略・・・・ついに念仏の息、絶えおわんぬ」

話は前後するが、お昼にご門徒さんのおつくりくださったお斎を頂戴した。自分は大根を炊いたものが苦手であるという、好き嫌いのことをきっかけに法話の導入としたが、前坊守様が私のお皿からその苦手な大根のおにしめを外しておいてくださったことを後で知った。
食べ物に好き嫌いがあるのは、決して褒められた事ではない。大根に非があるわけではない。好き嫌いをいうこちらの問題である。
では人間に対する好き嫌いは?

決して大根の煮しめが食べられないわけではないが、どうせ食べられるなら美味しく食べてくださる人に食べられるほうが大根のしあわせというものであろうという、まことに身勝手な理屈をこねまわしている自分である。(ちなみに大根卸しとたくあんは大好きである)
好き嫌いをいい、憎いかわいいに振り回される了見の狭さ、食べ物一つからでも、わが身の凡夫性を知らされる。

カテゴリー: JazzBose空言戯言日記 | コメントする