法事2軒

十時よりN家一周忌。故人は晩年仏画を書くことを趣味とし、お寺へも何幅か寄贈されている。またお寺の行事にはお元気なうちは積極的に参加し、お力にもなってくださった。朝晩のお勤めは欠かさず、何時だったか用事があって訪問した折もお夕事の最中だったことがある。こんな形で朝晩のお勤めを欠かさないという真宗門徒のライフスタイルが崩れてきた事が宗門衰退の大きな要因の一つである事は否定できない。しばしば書くことだが、形をくずすということは内実も確実に失われてゆく事である。

行信教校のA岸先生の布教前のご本尊様に対するお礼の仕方に心を動かされた事がある。我々真宗教徒の礼拝には接足作礼もなければ五体投地もない。ならばせめて精一杯丁寧なお礼をさせていただこうではないかいうようなお心持ちがあのお礼の遂げ方に込められているのだと思った。形式にその心を込める、これが儀礼であり、人間の文化の歴史であろう。形を軽んじる事はその心を失う事である。真宗復興のきっかけは儀礼の復活にかかっているといっても過言ではあるまし。現代人が形式の大切さに気づかないとするならもうそれこそ救いがたい。

午後春江町T家の七回忌。以前から頼まれていたお正信偈の録音テープ(CDではなくカセットテープ)を作り届ける。練習用に精一杯活用して欲しいと思いつつ。

夕刻6時よりI家通夜。I家は新聞販売店を経営しておられるだけに、お付き合いも広く、6時と6時半と2回に分けての通夜のお勤めとなる。後のお勤めの後しばらく通夜法話。

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