日別アーカイブ: 2008 年 1 月 22 日

タンポポ苑

昨晩は午前様にはならなかったものの、お酒の量がいつもになく進んだようで、帰山してバタンキュー。午前中は法務もなくゆっくりすればよかったのだが、寄る年波かいつもの時間には目が覚めた。ならば当然「ちりとてちん」も見なくては。というわけで朝のお勤めとチリトテチンは朝の日課。

溜まった雑務をしているうちに昼過ぎとなる。毎月のタンポポ苑の法話会。
明けましておめでとうございますと年を重ねた事を素直にありがたいことと喜べる心の視野を持たせてくださるのが仏様の智慧であるというようなことを自分なりの味わいの中で話させていただいた。

以前他の老人ホームで体験した事。話し相手として入所のお年寄りとおしゃべりしていたら、「ご院さん、若いね。いくつ?。フーン、いいね、若いのは。大切にしなさいよ。年取るもんじゃないよ、一つもいい事がない」と愚痴られた事を思い出す。
老いるとは「喪失体験の連続」であると、ある社会学の本で読んだ。得る事より圧倒的に失う事が多いのが老いるということ。だから人は老いることを嫌がる。
しかし失うばかりなのだろうか。この年になって初めて知らされた事、ここまで生きてきたからこそ分かった事等など、一つ一つの事象に意味を見出す事ができなければ、それこそ老いることは虚しく失ってゆくだけの連続という事になるのだろう。そして最後は自分のいのちも。

そこに人間の分別を越えた世界から働きかけ、人間の分別ではマイナスとしか思えない、受け止められない事柄の中に意味を見出す智慧を与えて救い遂げようとなさるのが私たちの親様。
そしてこればかりは、自ら足を運んでその智慧に裏付けられた仏様の願いを繰り返し巻き返しお聞かせに預かることからしか道は開けない。

時々読ませて頂いている温泉津の西楽寺様の元旦のブログを味わわせていただく、うんうん、そうだそうだといたく共感しながら。

http://blog.goo.ne.jp/rockwin18/d/20071218

カテゴリー: JazzBose空言戯言日記 | コメントする