寺院の存在意義

十時に、同じ部会に所属するお仲間寺院の若院さんお二人にご足労願って、彼らのアイデア・意見を承る時間をもった。

ランチを挟んで4時間くらいは語り合っただろうか。ひしひしと彼らの熱意、思い、そして危機感が伝わってきた。
彼らに共通するのは、今のままでは寺院の存在意義がどんどん見失われるばかり。何故本堂を中心とした伽藍・境内がなければならないのか、その意味付けを自分たち自身がはっきりと確認できていないといけないということ。

お寺は要らない、ということをあからさまに口にする人があっても、たとえ今はそう仰っても本当はお寺は無くてはならない存在なのですという事を寺族がはっきりと自信をもっていえなければならないはずだか、果たして現状はそうなっているだろうか。年を召した方の憩いの場も、デイサービス・デイケアセンターに取って代わられ、葬儀はセレモニーホールに移り、永代経法要と報恩講法要、そしてお寺を使っての門徒さんの法事くらいにしか使われない本堂だったらあまりに勿体無いではないか。

否応なしに寺院が減少する、統合化される時代にすでに突入したといえるのかもしれない。
何のためにお寺は存在するのか、いやなければならないのか、実は住職、寺族のみならず、ともにご門徒も問題を共有化しない限り、お寺はバタバタと消えてゆくであろうことは明らかである。

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