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割れても末に あわんとぞ思う(はらから81号)

崇徳天皇の詠んだ歌の下の句である。
瀬をはやみ
岩にせかるる 滝川の
割れても末に
あわんとぞ思う
一般には、想いを寄せる相手を慕う、恋の歌だと言われている。
実は、自分がこの歌を知ったのは上方落語からであった。そしてその名も崇徳院という古典落語が、福井と大阪をロケ地として半年間、放映された朝の連続テレビ小説「ちりとてちん」に挿入されていた。
落語の「崇徳院」の話の展開を書く紙面の余裕はないので略すが、人の世に生まれた限り誰しも逃れる事の出来ない苦悩の一つに別れというものがある。仏教ではこれを「愛別離苦」(あいべつりく=愛する者であっても必ず別れてゆかねばならない苦悩)という。
ところで、永久(とわ)の別れという言い方で人と人との別れを言い表す事がある。
永久(とわ)の別れとは、もう二度と決して逢う事が出来ない、いわば永遠の別離である。人間世界のご縁はまさに無尽である。その中には、「ではハイさようなら」とあっさり別れることのできる出会いもあったろう。しかしそうでない、深いご縁の結びつきもある。
しかし今生にいかにいとおしく不憫に思い思われた間柄でも、それこそ生木を割かれるように別れてゆかねばならない孤独の有様を無量寿経には
「人、世間愛欲のなかにありて、独り生れ独り死し、独り去り独り来る。行に当りて苦楽の地に至り趣く。身みづからこれを当くるに、代るものあることなし」
と説かれる。
本来、人は孤独な存在であった。その孤独をまともに見据えるとき、耐えがたいほどの不安と寂しさにうちのめされそうになる私たちに、お浄土があるのだよ、大切な人なればこそ必ず逢える世界があるのだよと呼びかけてくださる方がいてくださる。
人の世には様々な別れがある。しかし耐えがたい別離の私の悲しみに共感し、ともにその悲しみを悼んでくださる如来様のお慈悲が浄土となって結実し、私に届けられてあった。
また必ず逢える世界がある、またお会い出きるその日まで、このいのちを精一杯大切に生ききって、あなたに胸張ってお会い出きるまでのしばらくのお別れですね。
悲しみと寂しさに涙する中に、何にもまして支えとなり慰めとなりまた励ましとなってくださるお浄土が慕わしく仰がれる。

住職