納骨法要

三月一日に亡くなられた東京のS崎家のご遺族と、福井の親戚の方が納骨と満中陰法要に参ってこられた。急逝だった故、葬儀の前後は多分実感がもてないまま時が過ぎていったのではないかと思う。その後から今日までの間にご主人が亡くなられたことが否がおうでも実感を伴って、迫ってきたのではと拝察する。

読経、法話、寺の納骨堂への納骨、そして足羽山西墓地に向かい、墓地での納骨の勤行。あわただしく一連の法要を終え、そのまま東京へと帰ってゆかれた。
急いで癒しを求めるのではなく、この哀しみ、寂しさをゆっくりと時間をかけながら越えていっていただきたいと切に願う。

午後四時、そのS崎家の出身地である今庄は荒井地区のI村家にて、ご主人の二十五回忌法要。
このあとの法務がないので、ゆっくりお斎を呼ばれ、アルコールも呼ばれかえりの車中は爆睡。運転のY君に頼りっぱなし。

帰宅したら、連休を家で過ごそうと、京都の三男が帰ってきていた。先日京都で兄弟四人が集まって時間制限ありの焼肉食べ放題を堪能したと楽しそうに話してくれる。無論社会人である長男のおごり。
兄弟がこうして仲良くしてくれる事が親にとっては何よりの喜び。

かつて、K和上のご法話でこんな話を聞いた事を思い出した。「人類みな兄弟」というスローガンを掲げたある団体があったが、兄弟であるためには共通の親がなければならないはず。私たちは阿弥陀様を共通の親様と頂いている。そして親をいただくなら、兄弟がいがみあい、憎みあうとするなら親にとってそれが一番辛く悲しい事だと。

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