墓参と法要

午前八時半、M家の皆さんが来寺。奥様と二人のお嬢さま。先年なくなられたご主人様のご遺骨を寺でお預かりしていた。先日、メモリアルパークに墓地を建立され、今日がその納骨法要。

様々なご事情の中で一家の大黒柱を失い、その後肩を寄せ合うように過ごしてこられたご遺族が、このたび墓地を購入、墓碑を建立されるまでに立ち直られたことを嬉しく思う。

本堂にお参りいただき、お骨をお返しし墓地に向かい、納骨法要を終える。

その後、市内F地区Y家の二十五回忌法要。この法要に先立ち御当主より、ご自分で調べられたY家の過去帖と、千福寺の過去帖との照合を依頼されていた。
寺の過去帖に記載された、記録としてのY家のルーツは江戸中期まで遡れる。

家制度の崩壊が叫ばれる昨今、しかしこうして家を護りつづけてこられた祖先の方々のご苦労に思いを馳せる。どの時代にもその時代のそしてその家の抱える問題があったはず。その中でこうして今日家を新築され、お父上のの二十五回忌をお勤めになることのご当主のご苦労とまた喜びを思う。

ご当主も、「自分も若い頃親に田んぼは要らん、地所も要らんと逆らっていた時代もありましたが、親をはじめ祖先の方々が後継者を育てながら何とか大事に護っていって欲しいと受け伝えてきた思いがやっとわかりました」としみじみ仰る。

家制度というと、人間を縛る非人間的なあたかも悪習のように語られがちであるが、どんなシステムにも問題点がついて回ることは論をまたない。家制度、あるいは家族制度が崩壊しつつある中で、ではそれに代わるよりよいシステムを我々の社会は構築しえているかというと残念ながらノーと言わざるを得ないのではないか。無秩序は我々が人間が軽快すべき最大の敵ではないだろうか。

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