タンポポ苑布教

定例の老人ホーム布教の日。定例とはいえ、昨年11月12月はどうしても自分の都合がつかず、教区内の若手の布教使さんに代わっていただいた。
お聴聞の皆さんとはその意味では3ヶ月ぶりの上、今年初めてのご対面ということで新年のご挨拶から。

生家の今は亡き父が、元旦修正会(しゅうしょうえ=一年はじめてのお勤めのこと)のあと、お参りの皆さんに同じ口上で法話を始めていたことを思い出す。それは
「こうしていのちながらえて新しい年を迎えることができましたこと、皆さんとともにありがたく喜ばせていただきましょう」というものだった。毎年同じ口上だったので、子供だった自分も覚えてしまった。

近年その言葉がしみじみと味わえるようになった。いのちながらえて新年をむかえられることは、当たり前のことではない。当たり前のことではなかったと気づかされたとき、新年を迎えられたことのありがたさに思いがいたるのだ。

法話を終え、控え室でしばらく事務長さんと話す。定額給付金の2兆円の使い道について意見が一致した。ここの施設の入所待ちの方だけでも現在200名近く登録があるそうだ。(複数個所掛け持ちの申し込みをしている方もあるので実際の待ち人数よりは多いのだそうだが)
定額給付金を現金でばら撒くのではなく、まとまった形で使うべきではないのか、たとえばこうした施設をそのお金を使えば一挙に入所待ちの解消にもなり、また新しい雇用の創出にもなるなどと。

またブレたなどと批判されることを覚悟で、思い切って給付を中止し、ほかの使い方で景気浮揚をはかるなら、逆に支持率も上がるかもしれないのになどと帰りの車の中で一人ごちた。

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