老人ホーム布教

午後、定例の老人ホームへの布教。かけがえのないのが生なら死もかけがえがない。生のかけがえのなさの意味は受け入れられても、死は到底受け入れがたいのがわれわれ人間の分別である。
生と死を平等に見通す智恵を獲得された(覚られた)仏陀の智恵を通してしか、我々にはそこを超える道を見出せないのだろう。仏教を聞くとは、その智恵を聞くことにほかならない。
このホームの法話会に寄せてもらうようになってかなりの年月が過ぎたが、お寺を離れたこうした場で、死について話せるようになるまでにはそれなりのご縁の深まりが必要だったと思う。

帰山して着替え、プールに向かう。400m泳ぎジムで軽く筋トレ。サウナと大浴場で心身ともにさっぱり。

夕食後、教学伝道部会。節談説教と落語の会のパンフレット最終稿のチェック。
当日までに準備しなければならないものなどを書きだす。

その後近くの焼き鳥屋さんにて軽く一杯。

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