法事・葬儀・納骨

午前中、市内A家法事。食料品店(八百屋)を営まれるA家は先代(今日の法事の故人)のときから、報恩講のお内陣の果物のお供えをして下さっている。もう50年近くもなるのではないか。
終わって市内の葬儀会館へ移動。T家葬儀。弔辞の中で故人は「仏のTさん」と皆から慕われ、人の喜ぶことに自分の喜びを見出しておられたとの言葉があった。
仏教徒にとって、「仏さんのような人」という褒め言葉ほどの賛辞はないと思う。仏様の教えに聞き触れ、仏様に育てられる人は当然仏様のような人へと育てられてゆくのだろう。残念ながら、かつてよく聞かれた「仏さんのような人」という褒め言葉を聞くことが少なくなった。
「仏さんのような人」に育てられてゆくよりも、我が欲を最優先することが自分に誠実に生きる生き方と錯覚する輩が増え、それを増長する風潮の故か。
何度かこのブログでも書いたことだが、あまり自分の心を大切にするものではないというのが、浄土真宗ひいては仏教の腹の据えどころ。自分の心(煩悩そのもの)に振り回され、自分にたぶらかされ、どこに連れてゆかれるやら。

それなら何を大切にするのか、私のことを私以上にそして変わることなく大切に思い続けていてくださる阿弥陀様のお心を大切に仰ぐ、これに尽きる。そしてそれはまた自分の煩悩と対決する、あたかも水面下で汚泥と戦っている白蓮華の厳かさと美しさである。夕刻、納骨法要に参拝されたT家の皆様。 e58d83e794b01

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