本当に知っておかねばならないこと(はらから85号)

コンピュータからインターネット接続で世界中の情報を瞬時に手に入れることができるようになってその利便性とそのあやうさ(危険性)の二面性の問題に我々は当面している。

先日もこんな話題が。WIKIというインターネット上の百科事典がある。この百科事典にある大学生がいわゆるガセネタ(捏造記事)を書き込んだ。この百科事典は、誰でもが書き込んで編集することができる。その捏造記事を書かれた張本人が死んだあと、それぞれの国を代表するような新聞が故人に関する記事をWIKIから引用し世界中に発信した。一学生のでたらめの情報が世界を駆け巡ったのである。

インターネットではこの類の話題には事欠かないであろう。大学生の卒業論文が、インターネットで探し出してきた同じテーマの先達の論文の丸コピーだったりあちこちからのコピーのつぎはぎだったりとはよく聞く話である。

かくいう自分もしばしばインターネット上の情報提供の恩恵に浴している一人ではある。

完全にその情報が正しいものであるという前提においてはインターネットは強力な知的ツールであろう。しかし人間の営みの進化を文明というなら、その文明とは常に諸刃(もろは)の剣であったことを記憶しておくことは大切である。戦争しかり、環境問題しかり。切れ味鋭いかみそりの刃は向く方向によってはその持ち主をも時には切り裂く凶器ともなる。敵を滅ぼすための武器はこちらをも滅ぼす危険性を常にはらんでいる。もたらされた恩恵の大きさはもたらされる被害の大きさと等しい場合がおうおうにしてあることを忘れてはなるまい。

人間のすべての営みに伴う、名状しがたい不安(本当に心の底から落ち着けない)の理由はここにあるのではないか。享受しているようで心から安心してそれを慶べないのだ。

私たちの阿弥陀様は「我に任せよ、必ず救う」と、おん自らの悟りとあなたを救わずにはおかぬという誓いを南無阿弥陀仏の救いの名にこめて私たちに告げてくださった。真実の安心を与えて救うという真実の親なればこその名告りは、マイナス面を詮索する必要もない、身も心もゆだねられる、私を目当ての呼び掛けであった。このみ言葉にこめられた南無阿弥陀仏の六字に込められた願いは、どんなに時代が変わろうとも訂正も修正も加える必要のない変わることのない阿弥陀様の慈悲の顕現である。そしてそれは無数の情報が束になってかかろうとも揺らぐことなく、生と死を貫いて私の命を支えとおして下さる唯一のそして私が本当に知っておかねばならない阿弥陀様からのメッセージである。(住職)

カテゴリー: 寺便り『はらから』巻頭法話 パーマリンク

コメントを残す