Tさんの一周忌

昨年、このブログで書いたオバチャンのお宅へお参りに寄せていただいた。大阪で葬儀を営まれたあと、ご長男の住まれる東京へご遺骨は引き取られた。先日電話でお話させていただいたところ、今年の初めにお母様の後を追うようにお浄土へ帰られた奥様とのお二人の一周忌を先日、東京は築地本願寺で営まれたとのこと。

例年東京へお参りに出るので是非お参りさせて下さいとお願いしておいた。

ご子息は、半年の間にお母様と奥様と続けて大切なお二人を見送られた。気丈夫に振舞ってはおられるものの、その心中にははたのものにはうかがい知れない哀しみ、喪失感があるはず。こうした仏事のもつ大きな役割として、その名状しがたい哀しみ、空虚感を形に整えて外に顕すことによるグリーフワークもあるだろう。

阿弥陀経をお勤めさせていただいているうちに、斜め後ろに座っておられたお嬢さん(オバチャンのお孫さん)がしきりに目頭をハンカチで拭いておられるのが視野に入ってきた。お経のあとお茶をいただきながらご家族とお話しする中でお嬢さんが、「母のお葬式のあと、泣かないように、暗い顔をしないように努めてきたのが、タカ〇〇兄ちゃん(私の旧姓)のお経を久しぶりに聞かせてもらってもう涙を抑えることのこらえができなくなってしまいました」と明るい声で仰る。悲しみを表に出せる場が人間には必要なのだとあらためて思う。

近くのJRの駅までお嬢さんに送っていただく。

話は前後するが、このオバチャンのお葬式のお導師を務めてくださったのが、先日の永代経法要のご講師、若林先生。永代経の初日の夜の法座で、このオバチャンのことをご法話にしてお取次ぎして下さった。聞き逃された方には、法話をCD化しましたのでお貸しします。

一昨日、夜集まってくれた大学の同級生の縁で、午後は代々木の小さなホールでのジャズのコンサートに顔を出すことになった。ジャズボーカルを習っている練習生の発表の場。ご縁のついでである。自分も少しばかりベースを弾く。

コンサートの最後までいると、深夜バスしか福井に帰る手だてがなくなってしまう。友人はそれにしろというのだが、なにせ明日は「日曜講座」の例会日。東京からの朝帰りでは体ももたないので、羽田からの小松行き最終便にて帰福ということにした。

おかげで午後10時には家にたどり着いた。明日の「日曜講座」のテキストに一応目を通して、床につく。

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