人生の優先順位

市内D地区Y家の十七回忌法要を11時より。

故人はご生前中、お寺の行事等、積極的に参加・協力して下さった方。お亡くなりになられてもう16年!こうして自分に先立ってお浄土へ帰られた方の数がいよいよ多く感じられるということは、確実に自分も娑婆の残り時間が少なくなっているということ。

「自分の死を視野に入れて生きる」ということ言うと、「それは死ぬ為の人生でしかない(=生きるとは死ぬための準備期間)」という意味に受け止める人がいる。当然それは暗い話であり、縁起でもない話であり、だから自分には関係がない(と考えたい)と思うのだろう。

言葉による表現の微妙さが絡むことゆえ、充分にお伝えできるか自信はないのだが、死を視野に入れない、死を忘れた生き方は傲慢であり、無謀であり、よって思いやりに欠ける(ムゴイ)といえないだろうか。

自分も必ずこの命を終わってゆかねばならないということが腹にはいったら、生きるということの捉え方が違ってきて当然であろう。他人事ではない、自分の問題として老いる・病む・死ぬという、自分に課せられた根本的な課題に目が向いてはじめて人として生きるということが始まるといえないか。

よく思うのだが、いのちの問題に真向かいになって生きるということを考えるとき、自分の人生における優先順位が大きく変わってくるのではないか。つまり今何を本当に大切にしてゆかねばならないかということの順番付け(ランク)が変わってくる。

自分の欲望を最優先する人生から、本当に大切にこのいのちを生ききるという方向への転換が促されるというべきか。

などということを、やっと夏らしくなったお盆に思うことである。

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