日別アーカイブ: 2009 年 9 月 7 日

浄薫院釋尼妙芳二十五回忌法要

お昼前後から、親戚が法要参列のためにぞくぞく到着。このたびの前々坊守の法要はごく内輪の身内でつとめさせていただく。

法要には四人の息子等も衣を着けて出仕。法要後、本堂にて父(前住職)が千福寺の歴史について、さらに今日のご法事の前々坊守についての思い出などを語り参列の皆さんに聞いていただいた。

明治生まれのこの祖母とは、自分が千福寺入寺以来5年間一緒に過ごしたのであるが、明治の女性の凛とした気品と気骨を最後まで失わなかった人だった。法要の後の語らいの場でも、同じような思いを何人もの人が吐露された。

かつて前住職(父)からこんな話を聞かされたことがある。

召集をうけて出征の挨拶を「では、いってまいります」と祖母にしたとき、「いってまいりますは帰ってくることを前提にした挨拶です。こんなときは 行きます というものです」とたしなめられたと。武家の生まれということを終生胸に刻んでその人生を全うした祖母だったのだなとつくづく思う。

そんな厳しい言葉で自分を送り出してくれた故人が、入隊した連隊がいよいよ外地にむけて出発するというとき、福井の駅のホームに目立たぬようにひっそりと佇んで目頭を拭いながら見送ってくれた姿をまざまざと思い出すと感無量の思いで前住職は語っていた。

その祖母についての自分の思い出の一つ。

正直にいうと女性の福井弁にしばしば幻滅を感じた(御免なさい)。女性の口からでる福井弁には敬語も丁寧語もことに女性らしさが感じられなかったというとお叱りをうけるだろうが、しかしこの祖母とそして当時の檀家総代のH氏のお婆ちゃんの言葉は違った。福井弁にも美しい言い回しがあることを知り納得したものである。方言のもつ暖かさに加え、何か凛とした気品と女性らしさ。現在、福井弁でとして語られている言葉のほかに、確かに別の福井弁があった(過去形?)と自分は今でも思っている。

カテゴリー: JazzBose空言戯言日記 | コメントする