日別アーカイブ: 2009 年 9 月 10 日

自殺予防デイに思う

本日の標題は重たい。自らの命を絶った人を非難し責める資格は無論私にはない。ただそうした方々の死を通して、残された我々が何を汲み取り学ぶべきかということに思いをめぐらすことは責務でもあろうと思う。よって思うところを。

アメリカはかつてベトナムで泥沼にはまりこんだ。(同じ過ちを中東そしてアフガンで犯してはいないか)1960年に始まったベトナム戦争は1973年、パリ協定(ベトナム和平協定)が結ばれるまで14年の長きにわたった。戦争とはいわば殺し合いである。その14年間の戦争の間のアメリカ人の死亡者はほぼ6万人だという。(戦闘、非戦闘員含む)

翻って日本は昭和20年の終戦以来、戦争を放棄し戦闘に巻き込まれること無く64年間過ごしてきた。14年間のベトナム戦争のアメリカ人の死亡者6万人かたや戦争と無縁の60余年の日本で、連続11年、毎年3万人を越える自殺者があるという事実。毎日毎日約90人の人がこの日本で自らのいのちを絶っている。

自殺した人の背後にその数倍の自殺願望者(絶望者)が存在するであろうといわれる。まさに決して他人事ではない。本人の苦悩は無論のこと、残された遺族の悲しみと苦悩(自殺した人を救えなかったという思いから自分を責める)を思うとき、二つの方策がなされねばならないと考える。

一つは、タブー視せず、苦悩や悲しみを分かち合う方向へお互いが歩みを進めること。その意味で今日を自殺予防デイ(自殺予防週間)として自殺について向き合うきっかけとしようという試みは意義深いことだと思う。

もう一つは、自殺にいたる根本原因をきちんと見据えることだ。金銭苦、病苦などは縁ではあろうが直接の原因ではない。直接の原因は人間のこころにあると思う。(直接原因)

自分が思う現代人の一番の病理、それは自分の心にたぶらかされているということ。「自分のこころに素直に」「自分に正直に」「自分の心に誠実に」というもっともらしい言いまわしに乗せられ、自分のこころに翻弄されている。そんなに大切にしなければならないほど私の心は立派なものか?自分の心に正直になることはすばらしいことか?。

ある禅者は、《人間の思い》など脳の分泌物に過ぎない。(そんなものに振り回されることを愚かというといわんばかりである)。この言葉に接したとき、若いころ、ある和上から「自分の人生などあんまり大事にするもんじゃないよ」と聞かされたときのことを思いだした。いのちは大事というのも私の思い、こんな辛い思いをするくらいなら死んだほうがましだと思うのも私の思い。そのときどきの都合、状況いかんで私のこころは正反対のことを平気で思う。そのころころ変わる自分のこころを見据えることなくして、自分のこころに素直になどという甘言に大人も子どももだまされてきたのが戦後の日本人ではなかったか。そしてそれは宗教を自分の人生の重心におくことを放棄して、自分のこころをそこに置き換えたということを意味する。

無論いうまでもなくいのちは大事にされねばならない。しかしどうすることがいのちを大切にすることなのか?宗教を見失った現代人が飛びついたのが「自分の心を大切にする」というもっともらしいたわごと。もっともらしい世迷い言ほど始末におえないものはない。そして自らのいのちを絶ってしまった人はその一番の犠牲者ではなかったか。

先人は人間のこころの頼りなさ危うさをとっくに見抜いていた。人間の心ほど頼りにならないものはない。では何をたよりとすべきか。ころころ変わる私のこころを大切にするのではなく(振り回されるのではなく)、変わることなくこの私を私以上に大切に思い続けていてくださる方を大切に仰ぐこと。この一点に尽きる。

大悲無倦常照我      大悲ものうきことなくして 常に我を照らしたもう

幸いにして私たちは、変わることの無い(倦怠のない)広大なお慈悲をしらされた。

カテゴリー: JazzBose空言戯言日記 | コメントする