真宗教室

真宗教室の例会日。8月はお休みだったので、2ヶ月ぶり。お正信偈はいよいよ依経段の最後、「弥陀仏本願念仏 邪見憍慢悪衆生 信楽受持甚以難 難中之難無過斯」の四句。

その中、邪見について調べなおす中で再確認したこと。

邪見とは広くいえば、邪悪な誤った見解を意味するが、ことに因果の道理や仏陀とその教法を否定する見解とされる。また親鸞聖人は龍樹菩薩の功績として、有無の邪見を破斥されたことを

南天竺に比丘あらん
龍樹菩薩となづくべし
有無の邪見を破すべしと
世尊はかねてときたまふ と讃歎されている。

人間の認識(=分別)にかかるようなあり方でお浄土はあるとかないとかいうような言葉で語られるものではない、ということ。

そういえば、行信教校の学生時代、K和上が「お浄土は本当にあるんですかというような問いに答える必要はない。お浄土はあるのか無いのかというような問い方をすべきものではないからだ。問い方がまちがっているのだからそんな問いに答える必要はない」とするどく仰ったことをあらためて思い起こした。

というような、だいぶん理屈っぽい話になった。

ところで先日、受講生の山田さんがご自宅で取れたという見事な大栗をたくさん下さった。坊守がインターネットでレシピを検索、渋皮煮に初挑戦しておいしく出来上がったので、休憩時間のお茶うけにお出しした。写真に撮っておけば良かったのだがあとの祭り。今日出席された方はラッキー!

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