祖師聖人はただびとましまさず

午前中、市内報恩講廻り。

午後、S寺様の報恩講に出勤。お付き合いのあるお寺ではS寺様の報恩講がトップ。出勤法中の皆さんと「いよいよ、報恩講始まりましたね」とご挨拶。

導師を務められるH寺様が拝読される報恩講私記、終わりの段に「祖師聖人(親鸞)は直人にましまさず、すなはちこれ権化の再誕なり。すでに弥陀如来の応現と称し、また曇鸞和尚の後身とも号す」のご文を聞きながら、宗祖はこうして阿弥陀様のお救いを私に告げんがために90年の生涯を生きて見せて下さったのだということを偲ばせて頂く。正直言って若い頃は、覚如上人の美辞、修飾くらいにしか味わっていなかった。それなりに年を重ねるなかで、素直にこのようにご文を受け止めさせていただけるようになるとは・・・・・と、年をとることもまんざら無駄じゃないなと(年をとることを積極的に大肯定できるほどまでにはいたっていない自分であるが)ふと味わわせていただいた。

しかし、この報恩講私記を書かれたときの覚如上人は確か24歳。早熟の天才でいらっしゃったんだなとつくづく思う。

S寺様の出勤が終わって、引き続き市内報恩講。

カテゴリー: JazzBose空言戯言日記 パーマリンク

コメントを残す