沈まぬ太陽

昨日の日曜日、四人の息子たちがそれぞれ家を後にして職場あるいは学校へと帰っていった。一挙に、本当に一挙にである。親はこの虚脱感をひきうけなければならないのだろうと思う。そしてかつて同じ思いを親にさせてきたんだなとはるか自分の学生時代を思うことだった。

その空虚感を埋めるためというわけではないが、久しぶりに連れ合いと映画のデートとしゃれ込んだ。

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最近の日本映画には珍しい休憩(インターミッション)のある大長編映画である。映画自身は力作だと思うのだが、いかんせんタイミングが悪すぎるゆえにいまひとつ観客動員数が伸び悩んでいるという評判を気の毒に思った。

この航空会社がナショナルフラッグエアーラインとして華々しく日本そして世界の空を羽ばたいていた時代の裏側でこのような闇を抱えていたこと、そしてそれは一人航空会社にとどまらず日本の社会のあらゆる分野に及んでいたことを我々は知ってしまった。

そうした様々な澱(おり)のようなものが一挙に噴出したのが今の日本ではないか。澱が澱として沈殿しているということに一人ひとりが気づき、そしてその澱を生み出しているのがまぎれもなく私たち一人ひとりであるということの自覚抜きには立ち直りは難しいであろうと思う。

映画は「沈まぬ太陽」を提示することで、日本の立ち直りを鼓舞するということを示唆して終わるのだが、果たして映画製作者の目論見どおりに日本を元気にする力となりうるか。少し悲観的になって帰路についた。

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