日別アーカイブ: 2010 年 2 月 3 日

兄の還暦

昨日は二つ違いの実家の兄の誕生日だった。ちょうど還暦を迎えるので、先日赤いチャンチャンコならぬ派手めのセーターを連れ合いに見立ててもらって送っておいた。6人兄弟の5番目までが還暦を越えた。残るは自分一人だが、さてさて無事還暦を二年後に迎えられるだろうか。

今にして思えば何の根拠もなかったのだが、「自分は50歳まで生きられれば良しとすべきだろう」と大学に入ってからさえも思い込んでいた。記憶をたどってあえてその根拠を探ってみると、高校時代だったろうか、学校の健康診断にたどりつく。校医から「(お前さんは)日本人の体格からすれば明らかに大きすぎる。図体の大きさに心臓の大きさ(強さ?)がついていっていないから、長生きはできないよ」と言われたことだろうか。

50歳を超えたとき二つの感慨を胸に抱いた。一つは今述べたこと、つまりとにもかくにも50歳まで生きられたということ。もう一つは敬愛してやまなかった富山善巧寺様の雪山隆弘先輩がくしくも50歳でその人生を終えられた、その年を越えさせていただいたんだという、どこかに申し訳ないような恥ずかしいような思い。

申し訳ないという思いを何故持ったのだろうかと今振り返って考えると、やはり自分のようなものが生きていていいんだろうか、もっと世の中のために、宗門のために活躍して下さる方が長生きして下さったほうが意味があるだろうにという、自分の存在を卑下していたのだろうと思う。

自分の思いで(その時の感情)で自分の存在の値踏みをするという何という傲慢さ。その傲慢さの裏返しが卑下なのだということは、おかげさまで知らしていただいた。私が私の値打ちを決めるのではない、如来様がかけがえのない存在として私をみそなわすそのまなざしに包まれてあるがゆえにとおといという世界を知らせていただいた。あいもかわらず時に高上がりし(傲慢)、時に自分を貶め(卑下)することもから離れられないが、そんな自分であることだけは気づかせていただいた。

 

「如来のまなざしに包まれてあることを知らさた念仏者は

傲慢にもならず 卑屈にもならず

遠慮もせず きままもせず

慎み深く しかし 大らかに生きさせていただこう という世界に生きる人です」

という 恩師K和上のお言葉が何にも代えがたくあり難い。

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