月別アーカイブ: 2010年3月

葬儀・納骨・通夜

Y家葬儀10時開式。喪主の義弟氏がこの4月付けで福井警察署長に就任されたばかりなので、そちらの関係の会葬も多い。

りんどうホールでの葬儀ゆえ、会食後すぐに納骨法要に取り掛かることができた。七日参りと満中陰法要の日どりを決め例によってお揃いの記念写真をお撮りする。 (Y家の方で、写真所望のかたは、お問い合わせボタンをクリックしてメールを下さいませ)

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皆さんをお見送りして、市内の葬儀会館にてT家の通夜。

枕経、通夜、葬儀とたまたま連続してあわただしく時間が過ぎてゆく。その合間をみて隣寺様へお手伝いできることはないかと顔を出す。お手伝いのご門徒さん方が甲斐甲斐しく立ち働いておられる姿に、お寺をこうしてご門徒の皆さんに支えられてあることを重ねて痛感。

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現場検証と後片付け

朝から隣寺のご門徒さんが続々駆けつけられるも、警察と消防署の現場検証のため入れてもらえない。すぐ隣である拙寺の本堂をお使いいただくよう申し入れる。現場検証が終わり次第後片付けに取り掛かれるよう、それまでご門徒さんがたの待機場所。

福井組若手の僧侶F君に電話を入れる。若手で動ける人に、後片付けのお手伝いに出てもらえないかと相談。快い返事と、彼らのメーリングリストですぐに連絡が廻ったらしい。

続々と若手のお坊さんたちが集結。かれらはこの3月の福井組親鸞聖人750回大遠忌法要に出仕し、その導師を務められ、また何度もお勤めのご指導をしてくださった照護寺現ご住職へのご恩の思いからそれぞれに作業着で駆けつけてくれた。しかし、現場検証が長引き、中々建物の中に入れてもらえず、外で待機する羽目になった。やっと許可が出て若手パワーの発揮となる。

不幸中の幸いというべきか、消防署がすぐ近くであり(100mもない)、出火元から本堂へは火が廻る前に鎮火できたことで、二階の本堂へは放水はなかった。これで本堂に放水されていたら、お内陣など壊滅状態に陥っていただろう。

それでも一階部分は水と灰で泥の海状態。ご門徒さんや若い彼らの働きで見る見る間に洗浄されていった。本堂は、火は廻らなかったものの一回からの煙でものすごい煤。ご門徒さんのオバチャンたちが畳葺き。そして今日ばかりは特別と、お内陣の床も作業着で拭き掃除。

旅先からご住職がお帰りになられたのが午後4時くらいか。

夜になって、前坊守様のご遺体がお帰りになった。前住職様のご遺体は午前を廻ることだろうとのこと。

隣寺の法務員T村さんの奥さんが向こうのお寺こちらのお寺と休む暇なく行ったりきたりの往復。昨晩は知らせを聞いて駆けつけ、寺の近くに止めた車の中で夜明かしされたらしい。仮通夜、通夜、葬儀と長丁場になるので、今晩は早めに帰って体をお休めなさいよとお話しする。

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大事件

午後、今庄の荒井地区の春廻りを終えて帰山してお夕事をすませ着替えを終えたところで消防車のサイレン。しかも何台も何台もすぐ近くに終結している。法務員のY君から携帯で連絡あり。なんとすぐお隣のS寺様から煙がでて消防隊が消火にあたっているとのこと。

現ご住職はご門徒さんらと旅行に出られて留守。確か前住職様と坊守様が留守宅を守っておられるはず。本堂横の門徒会館には煙が立ちこめ、消防隊、警察とごった返している。そしてマスコミも。

携帯に連絡を入れ、旅行中の御住職に大変な事態をお知らせする。境内で消防隊からいろんなことを聞かれる。誰も中にいないのですか、普段はどなたがおられるのですかなどと矢継ぎ早の質問に、前住職様と前坊守様がおられるのではないかと思うと答え、もしものことがなければいいがと思っているところで、ブルーシートで報道陣のカメラから見えないように囲まれたお二方が時間をおいて中から連れ出されそれぞれ救急隊員の手によって救急車で運ばれてゆかれた。この時点ではお二人がどなたなのか特定は出来なかったが、しかし最悪の事態になってしまったようだ。

病院でお二人の死亡が確認されたと関係者から聞かされた。ご住職は旅先から何をさておいても帰ってこられるだろうが、到着はあすになるとのこと。

お帰りになられてこの事態をどう受け止められるか、また煙にまかれて倒れておられた前住職ご夫妻はさぞお苦しかっただろうと思うと、言葉が見つからない。隣寺として、必要とされることは可能な限りさせていただかねば。

夜のニュースでこの火事を報道している。千福寺の門徒さん方からも案じる電話を頂戴した。

警察の車両がよっぴいて現場の監視に当たっている。

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T家法事

午前中、市内T家法事。十七回忌と五十回忌の併修。法事のあと、午後の法務もないということで、お斎の席までご一緒させていただいた。ご当主の挨拶で、「妻はこの家に嫁いで苦労ばかりの人生を引き受けてくれました。子供たちが成長し少しは女房孝行でもしてやりたいと思った矢先、脳梗塞の病で倒れ、十五年間もの間入退院を繰り返してまいりました。その妻が逝きはや十六年の年月が流れましたが、今でも妻に苦労ばかりかけたことを床の中で思うことしばしばです」と仰る。

自分がT家にお参りするようになってから、報恩講廻りやご法事の際は、このご主人がかいがいしく世話なさりながら、椅子に座って法要の場に同席しておられたお姿を思い出す。周りの方々も本当にTさんは奥様のお世話をよくこなしておられる、中々出来ることではない等口々に仰ることを耳にしてきたが、ご本人は人が仰るほど立派な人間では自分はありませんときっぱり。

場所を料理屋に移してのお斎で、進められるままに杯を重ねるうちにかなり酔いもまわり、鯖江のN氏からいただいていた新井満氏(千の風に乗っての作者)の講演会チケットをふいにしてしまった。帰山したらそのままベッドに倒れこんでしまい夜まで爆睡。Nさん、ごめんなさい。

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K家法事

午前中、丸岡町K家一周忌法要。読経のあとの法話は、どうしても先日訪れた薩摩かくれ念仏のことに話が向いてしまう。涙石のこと、知覧の柱仏壇(柱に細工して、小さな阿弥陀様の本尊をご安置しまたふたをする)のこと、そして知覧の特攻隊員のこと。

特攻基地のこととかくれ念仏は直接的には結ばないが、いのちをいただいていきているということの忝けなさでは共通するものがあるだろうとばかりに

少々強引な話の展開。

なんとなんと、今日の法事の席に少年航空兵として8月15日まさにその日に出撃するはずだったという一人の親戚のご老人がおられた。

彼の話によると、出撃の際、記録フィルムで報じられるようなシーンばかりではなかったと告白される。酒でへべれけに酔って出撃する特攻隊員も数多くいたと。死地へ向かう恐怖心を麻痺させることもあったのだろうか。意外な証言を聞いたが、かといって若き隊員たちの犠牲の意味が減ぜられることにはならないと思う。ヒロポン等の覚せい剤を注射して同じよううに恐怖心を紛らわせたという話も聞いたことはある。しかしこれとて同じく特攻隊員たちに責任があるわけではない。彼らもその意味では紛れもなく戦争の犠牲者であろう。

責任はどこまでもこうした恐るべき作戦を強いた上層部、指導者にある。今の政治状況を眺めても、国家の舵取りを任せるということは大変な責任が国民一人一人にあるということをあらためて痛感する。

午後、婦人会「りんどう華の会」の例会。お勤めのあとしばらく講話。今日の出席者の殆どが先日の薩摩かくれ念仏遺跡参拝の参加者。うれしかったのは、旅行に参加した丸岡のOさんが、旅行中に何度もこの華の会においでと誘って下さったので足を運びましたと、初めて参加してくださったこと。

こんな形でご門徒同士の触れ合いの輪が広がってゆくことは何にもまして嬉しいこと。

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