小林秀雄氏の命日

昨日は批評家、小林秀雄氏の命日だった。福井新聞のコラム『越山若水』に彼のことを書いたものがあった。かつて本で読んで心打たれた文章である。福井新聞のコラムをそっくり引用させていただく。

『越山若水』3月1日

ある日、大変難しい問題について講義をしていたと、その人は書く。他を顧みる余裕もなく苦闘しているとき「あやふやな手附(つ)き」で挙手をする学生に気付いた▼質問ならもっとはっきり手を挙げたらどうだと言うと、彼は「先生、教室が違います」。まるで落語のようだが、続く文章に心を動かされる▼「これには驚いた。粗忽(そこつ)をわびて降壇したが、だれも私の失敗を笑わなかった。笑ったが好意の笑いであった。今でも、その時の学生諸君の態度を忘れずにいる」▼青年というのは気難しい。観察されているのを知るとすぐに仮面をかぶる。誇り高く、困難と戦うのが好きだ。そう評した後に披露したのがこの逸話である▼教師が一心不乱に困難と苦闘している。それが分かったから彼らは笑わなかった。「種々の点で教育者としての資格を欠いている」と自認する人の失敗談は温かく、示唆に富む▼「その人」とは文芸評論家の小林秀雄である。20世紀の日本を代表する知性が言いたかったのは、青年相手に教師の“上から目線”は無用、向上しようとする姿勢が肝心ということだろうか▼月が替わって春を実感するきょうは、小林の27回目の忌日。貧困問題や一段と厳しい就職環境にさらされている若者たちは「先生、時代が違います」と訴えたいところかもしれない。戦えというには、この困難は度を超しているようだ。            引用以上

小林秀雄氏は東大の仏文科卒業である。そして彼が一時教鞭をとったのは、確か明○大学。親戚筋の住職が若いころ、寺の跡取りであるが、とにかく小林秀雄の直接の講義が聞けるというので身分を詐称して?明○大学にもぐりこんで講義を聴いたという話を彼が存命のころ聞かされた。そんなことを思い出しながら『越山若水』を読んだ。伯父によれば跡取りのことを心配した寺の総代さんが東京まで迎えに来て、半ば強引に連れ戻されたという後日談まで思い出した。

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