かくれ念仏遺跡 参拝記(はらから87号)

去る三月十八日より二十日まで、千福寺門徒さんを中心に二泊三日の日程で薩摩かくれ念仏遺跡巡拝の旅行を実施しました。同じ目的の旅行を実施したのが、平成十二年であり、もうあれから十年の歳月が流れたわけです。南越前町の窪田哲夫・冨美子夫妻は前回に引き続きこの旅行に参加されました。

 

かくれ念仏とは、薩摩藩において、仏教諸派の中、浄土真宗のみが徹底的に禁止そして弾圧されたため、門徒衆は、表立ってお念仏を称えることも阿弥陀様を礼拝することも禁じられた圧制の中、様々な形をとってお念仏の信仰を守ったその事実をかくれ念仏と称するのです。

鹿児島県内各地そして、かつては島津領内だった現在の宮崎県小林市・都城市の大部分もお念仏禁制の土地でありました。禁制がしかれる以前からすでに伝わっていたお念仏の教えは、生きること自身が決して楽ではなかった一般民衆にとって、アヘンという言葉に象徴されるような、現実逃避の救いではなく、この厳しい現実を生き抜く正しき拠り所となっていただけに、弾圧に屈することはありませんでした。取り締まっても取り締まってもお念仏を止める人はなかったことがそれを物語っています。

 

お念仏をいただき、また伝えるために流された涙と血はおびただしいものでした。殉教にまつわる哀しい伝承にもそのことは明らかです。

かくれガマと呼ばれる洞窟で彼らはともに称えるお正信偈に、お称名に自らのいのちの証(あかし)を感じ取っていたに違いありません。

お念仏の同行が摘発され改宗を迫られた拷問の場所、棄教を拒む念仏者に対する処刑場も各地にあったといわれています。

最後にお参りした鹿児島別院にはその拷問に使われた〔抱かせ石〕(割り木の上に正座させ後ろ手に縛った上、ひざの上にこの石を抱かせた)が親鸞聖人像の足元に静かに置かれていました。

 

碑に本願寺勧学、梅原真隆和上の詠まれた歌が刻まれてありました。

なみだ石

なみだにくれて

黙(もだ)しけり

まことのいのち

ためさるるとき

 

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