葬儀と通夜

午前10時より、T家葬儀。帰山して隣寺に伺う。葬儀式壇・会場設営に皆さんがあわただしく動いておられる中、葬儀に使う楽(がく)の曲の選定や音響などのチェック。結局CDプレーヤーを自宅から持ってきて接続することにした。相当の数の通夜の会葬者が予想されるので、境内に大きなテントを設営し椅子を並べるのだが、本堂内部の様子が見えるよう、急遽ビデオカメラとプロジェクター、それに大型スクリーンを設置することになる。

そうこうしているうちに、T家の納骨法要の時間となる。納骨を終え例によってお揃いのところを記念写真。

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皆さんをお見送りして、隣寺へ。

6時からの通夜の法話を依頼されている。自分がお引き受けするのは僭越かとも思ったが、ご辞退すべきではないと思う理由があった。

一つは、この三月に修行した、福井組の750回大遠忌法要の記念品の華葩である。法要実行委員長をおおせつかっていた自分は、画家でいらっしゃる照護寺前住職様にお願いして、5枚一組の華葩を作成したい旨、ご相談申し上げたところ前住職様は快諾してくださり、日を置かず華葩の原画を届けていただいた。おかげで立派な記念品を皆様にお配りすることができた。

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もう一つは、一昨日すなわち3月29日は私ども夫婦の30回目の結婚記念日である。ちょうど30年前、千福寺本堂で前住職様に司婚の労をお取りいただき、挙式した日である。しかも確か式前日にご母堂様がご往生されたばかりで、ご葬儀を控え本当に心身ともにお疲れでいらしたであろう中を、前から決まっていたことですからとそのまま勤めてくださった。

これらのこともあり、不遜を省みず法話の場に立たせていただいた。

親鸞聖人、最晩年の乗信坊へのお手紙を紹介。

「なによりも、こぞことし、老少男女おおくのひとびとのしにあいて候うらんことこそ、あわれにそうらえ。ただし、生死無常のことわり、くわしく如来のときおかせおわしましてそうろううえは、おどろきおぼしめすべからずそうろう。まず、善信が身には、臨終の善悪をばもうさず、信心決定のひとは、うたがいなければ、正定聚に住することにて候うなり。」

臨終の良し悪しで往生が決まるのではない、どんないのちの終わり方をするか分からないのが、いのちの厳しい現実であればこそ、痛ましい事故ではあったがわが身をもってそのことをお教えくださったと受け止めさせていただきたい。

またご門徒の皆様にはお二人が参られたお浄土はまた私たちが参らせていただくお浄土であること、お浄土があればこそまたお会いできることがこの悲しみの中にあるお互いにとってどれほどの支えとなって下さるか、そのような法話をさせていただいた。

受け止める 大地のありて 椿落つ 合掌

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