日別アーカイブ: 2010 年 7 月 1 日

満中陰

本日が父の正日(しょうび)の満中陰である。早くもという思いと同時にやっとこの日を迎えたというような相反する説明しがたい思い。

しかし満中陰法要は明後日、永代経法要初日の午後の座に、ほんの身内とご門徒さんとでお勤めすることになっている。

よって今日は寺にいる家族だけで阿弥陀経のお勤めにて一応の区切りの日をすごす。満中陰法要のお供養として、通夜の法話(鹿児島から来てくれた加藤氏の通夜法話)をCD化したもの、そして本願寺からこの春出版された「浄土真宗のみ教え」をお配りすることにした。いずれも皆さんに活用していただけることを念願して。

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前住職の葬儀を終えて(はらから88号)

前住職 高務祐成(法名 浄秀院釋祐成)は、去る五月十四日、お浄土への往生を遂げました。「はらから」巻頭に、門徒総代 細野丈志様より葬儀委員長として述べていただいた弔辞の玉稿をそのまま掲載させていただきました。

前住職は連休中、呼吸に困難を感じている様子でしたので、連休明けにかかりつけのお医者さんの診断を仰ぎ、間質性肺炎の診断を受けそのまま入院。一時回復の兆しも少しは見えたのですが、加療の功なく八十三歳の生涯を終えました。前住職の事跡については細野様が仔細に述べて下さったとおりであります。

前住職の葬儀に際して、あらためてお寺とご門徒さんとの強い絆というものを感じさせていただきました。

婦人会の皆様は、掃除機等の掃除用具持参でお集まりになり、本堂、会館、庫裏のお掃除、窓ガラス拭きなどの大掃除。また台所では大勢の皆さんの食事の用意など通夜前日から葬儀当日まで本当に甲斐甲斐しく立ち働いて下さいました。

さらには男性女性を問わず皆様が手際よく仕事を分担して、弔問くださる方、出勤のお寺さん方等のご接待、通夜葬儀の帳場の係り、その他私ども寺族の至らないところなどカバーして下さり、お蔭様をもちまして通夜、葬儀、還骨と務め上げることが出来ました。

細野様の弔辞について、後で親戚のご住職から、あれは住職のあなたが書いたものを総代さんに読んでもらったものではないですかと誤解されるほど、寺族にとってもあり難いものでした。(一箇所日付の訂正をさせてもらっただけ)

住職はじめ寺族はご門徒様から同じお浄土へ参らせていただくのですねと言っていただけると同時に、ご門徒様の参られたお浄土へ私も参らせていただきますよという方がお一人でも育って下さることを励みに、寺に住まわせていただいていることをあらためて痛感したことです。

葬儀が終わった後も、前住職の還骨まで見届けるために多くのご門徒の方々が残ってくださいました。本堂で皆さんのお姿が目に入ったとき、こみ上げるものを抑えることが出来なくなりました。

前住職が皆さんと心を一つにして再建した本堂一杯に響き渡るお通夜のお正信偈、そして鹿児島からはるばる駆けつけてくれた加藤氏のご法話。ご法中方の丁寧なお勤め、出棺のときまで厳粛さが保たれた葬儀、ご縁の深い白井淳夫様のアルトサックスによる恩徳讃の演奏。すべて尊いお念仏のご縁でした。

宗教離れ寺離れが指摘されるようになって久しいです。お寺そして浄土真宗の置かれた現状と将来は決して楽観できるものではありません。しかし前住職の葬儀をご縁に確認させていただいたご門徒の皆様との絆をよりどころに、残された寺族一同今後皆様と共に、お念仏の教えを噛みしめながら歩み続けてまいる所存であります。

生前のご厚誼とご香典そして多大なるご尽力に衷心より御礼申し上げますとともに、今後とも千福寺と御法義繁盛に変わらぬお力添えをお願い申し上げ、前住職 浄秀院釋祐成の葬儀のご報告とさせていただきます。なお、満中陰法要は来る七月三日午後二時より勤修いたします。

午前中は例年通り永代経法要をつとめます。引き続き午後の満中陰法要へのご参詣をお待ち申し上げます。

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弔辞(はらから88号) 細野丈志

謹んで門徒を代表し、第十五世住職高務祐成様の前に 衷心より哀悼の意を表し、感謝の言葉を述べさせていただきます。

ご住職は、大正十五年六月十七日 第十四世住職高務祐正様の御子息として生を受けられました。長じて龍谷大学哲学科に進まれ、ご卒業後県立丸岡高校に奉職されました。

ご住職のご尊父、第十四世住職 祐正様は、晩年大変な悲運に見舞われました。その一つは、第二次世界大戦で、寺も新築したばかりの離れも 皆失ったことです。それにも増して悲運なことは、出征されたご長男の祐賢様を中国で亡くされたことです。

もう一つは戦後やっと再建なった仮本堂が福井大地震で倒壊したことです。そうして昭和二十九年 ご住職に後事を託されて六十八歳のご生涯を終えられました。

このような状況の中で、ご尊父様との約束である千福寺の再建と弟様、妹様たちの後見を課題に第十五世住職をお継ぎになられました。決意を新たにして勤務先も丸岡高校から福井商業高校の定時制にかわられ千福寺の再建に邁進されました。

まず最初に福井市体育館建築に伴う墓地移転に取り組まれ、お墓を足羽山に移されました。

次に昭和三十年に離れが完成、更に本堂の建設に取り掛かり、設計は五十嵐福井大学学長に依頼され昭和三十六年に完成しました。

続いて納骨堂及び石垣塀の完成、更に昭和五十二年に鉄筋コンクリートの庫裏、昭和五十八年に台所が完成し、現在の千福寺の陣容を整えられました。

この間ご自身のご結婚も含め、弟様、妹様、甥御様、姪御様を後見しお二人のお子様と共に立派に生育なされました。

こうした中でご住職と門徒の間には 深い信頼関係と固い絆が生まれていったように思われます。

昭和六十二年三月をもって清水養護学校校長を定年退職されると同じくして、同年六月七日「未だ早いのではないか」との声の中、現在のご住職哲量様にお譲りになられました。

ご自身もおっしゃっておられましたように、第十四世住職との約束をすべて果たされ という満足感の中で退くことの幸せを噛みしめられておられたことでしょう。

目的に向かって静かに、しかも着実に成し遂げてゆくということは、人をひきつける魅力と大きな度量なしには到底できるものではありません。

ご住職が愛し、心血を注いで再建された千福寺。この千福寺の門徒であることは私たちにとって大きな喜びであり、誇りであります。

私たちもやがて、ご住職が参られたお浄土に参ります。その間 ご住職が再建下さったこの千福寺を そしてお念仏のみ教えを十六世ご住職とともに門徒一同 大切に護り続けてまいります。

このことを心に刻み、数々のご恩に対する感謝の言葉とさせていただきます。

ご住職 またお会いいたしましょう。

平成二十二年 五月十七日

門徒代表 細野丈志

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