月別アーカイブ: 2010年10月

K地区報恩講

Y家の葬儀のため、鯖江K地区の報恩講廻りを8時に開始。自分と三男が組み四男と法務員のY君との二組。3軒ずつ廻ったところで福井に引き返し、O葬儀社の会館で11時開式。葬儀を終わった時点でそれまでもしんどそうにしていた三男だが、様子からして午後の報恩講廻りは無理と判断して家に帰した。

後で電話で様子を尋ねたら38度以上の熱が出ていたとのことである。結局鯖江K地区の残りのお参りは自分ひとりでつとめることになった。今年の寺世話役のKさんに事情を電話して了解を得る。

四男とY君は午後は福井市内の報恩講廻り。

鯖江に取って返し、地区内のお蕎麦屋さんで昼食をご馳走になる。食事しながら寺当番のKさんとFさんと歓談する中で趣味の話になりKさんのアマチュア無線の話が実に面白かった。Kさんがアマチュア無線をしておられることは以前から知ってはいたが、高校生時代からの筋金入りの趣味だったことは始めて知った。今のような高性能の完成品の無線機などない時代、真空管のアンプを自作し大阪の日本橋(東京の秋葉原に相当する電気タウン)まで部品を物色にいったこと。アマチュア無線の資格試験に合格したものの、免許書が届く前に電波を発信し電波法違反で摘発を受け匿名ではあったが新聞に載ったこと。その後まもなく自作の無線機でフィリピンとの交信に成功したことで(このときには正式に免許書を所持していた)、「鯖江の電波少年、フィリピンとの交信成功」と今度は実名で再度新聞に載ったことなどなど。

夜、すべてのご門徒宅の報恩講を勤め終え道場に皆さんが集まってこられる。いわゆる総報恩講(そうぼんこう)である。当番のKさんFさんらが準備されたお精進のご飯を一緒にいただく。ご飯は各自持参。食事前の世話方の挨拶が恒例になっているのだが、「皆さん、ようこそお集まりいただきました。例年どおり、しょっからい(塩辛い)お汁は十分に出来上がっておりますのでごゆっくりお召し上がり下さい」というもの。

そのしょっからいおつゆの写真がこれ。(でも実際はそれほど塩辛いわけでもなく、とてもおいしい)揚げは福井では有名な山竹田の油揚げ。これがまた実に美味しい。

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その他、煮物とお漬物と新米のご飯。お給仕はFさんとKさんの仕事。

住職はご飯も道場番さんが用意して下さったものをいただくのだが、他の方は「おたじ」と呼ばれる箱にご飯を山盛りについで持参される。この「おたじ」という道具についてネットで調べたらこんな記事にであった。

「おたじ」

午後7時、Y君が福井市内のお参りを済ませてこの道場に到着。それから皆さんと一緒にお正信偈のお勤め。

お勤めの後法話2席。

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10時前に帰山。四男はお参りを終えて夕刻金沢へ帰っていったとのこと。三男の熱は37度代にまでさがったという。 心地よい疲労を感じながら日本酒を少々口にして床に就く。

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S地区報恩講廻りとK家納骨法要

午前7時半からS地区の報恩講廻りを勤める。最初のN家。おばあちゃんがデイサービスを受けているので送迎の時間までにお勤めが終わるようにという

要望に応えて第1軒目。この地区はことしの台所当番をこなして下さった在所なので各戸でお礼を述べてまわる。和気藹々と楽しく勤めさせてもらいましたよという感想をお聞かせいただき嬉しくなった。

写真はM家にて。お勤めの本と念珠を直接床に置かない工夫としてお盆をちゃんとこうして用意しておられる。有難いことだ。

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T家にてお昼を呼ばれる。毛色の変わったところでという配慮から魚料理ではなくお手製のとんかつとエビフライを用意して下さってあった。これはこれでまた有難い。

帰山してこんどは先日葬儀を営まれたのK家の納骨法要。法話に娘さんらがしっかり耳を傾けて下さる姿が印象的だった。

例によってお揃いの所をパチリ。K家の皆さん、メール下さいませ。縮小前のオリジナルのものを添付してメールでお届けします。

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K和上訪問

昨年ご病気されたK和上。この四月から行信教校の教壇にもたたれるようになり、今年の専精舎(行信教校の5月の研修会)にも五日間通してご講義下さった。ただ自分は前住職の葬儀の直後でもあり、その専精舎に顔を出すことが出来なかったため、K和上に久しくお目にかかっていない。弟子とはとてもいえるようなものではないが、教えを受け現在もお育てをいただく一人として一度ご挨拶に伺わねばとおもいつつ、今日まで延び延びになってしまった。自坊の報恩講も終わり、ひと段落ついたところで和上のご在宅をうかがってあったので大阪まででむいてきた。

午前中お見舞いを兼ねて親しくお話させていただく贅沢な時間をいただいた。ご病気、手術、加療とこの一年の間にずいぶんお痩せになられたが、行信教校はじめ大阪朝日カルチャーセンターでの連続講義と、徐々に体力の回復と相談しながらご教化下さっていることを何よりも有難く思う。法然上人が最晩年に今生の思い出として「ご本願と遊蓮坊にあえたこと」が一番の喜びと語られたと伝えられるが、自分にとってK和上の膝下にわずかな期間とはいえ身をおく期間をいただいたこと、その後もお育てをいただき続けることが出来たことは何にも代えがたい喜びである。

奥様にもご挨拶し、結婚30年になりましたと報告。ご夫妻に媒酌の労をお取りいただいてから30年経った。

徐々にではあるが体力も戻りつつあると仰って下さることが何より心強い。長居してお疲れをためられては申し訳ないのでころあいをみて辞そうとしたら、せめてお昼ご飯を食べて行きなさいと用意して下さったので、お言葉に甘えてお相伴させていただいた。和上と親しくこうしてお昼を頂戴できること、言葉にならないくらいの感激だ。近著をいただく。わざわざ山門までお見送り下さった。たまたま寺で葬儀の準備中で、近くにいた葬儀社の社員さんに和上と並んだところをシャッターを押してもらった。

和上のお寺を辞して、行信教校の先輩W林氏のK照寺様へ向かう。この夏、ご尊父が往生された。お悔やみにうかがおうと思いつつこれまたのびのびになってしまっていたので、この機会にというわけである。ご尊父は大手の銀行を定年でリタイアされてからご子息と同じ行信教校で学びなおされた同窓生でもある。実社会人としての経験のない自分に折に触れてさまざまな事をお教え下さった。銀行時代からの蝶ネクタイがトレードマークで、それが実にお似合いのダンディーな方だった。久しぶりにうかがったW先輩のご自坊。お母様と坊守様も温かくお出迎えて下さり、しばし懐かしい時を過ごさせていただいた。

吹田駅まで送っていただき、サンダーバードで帰福。明朝も早いので早めに就寝。

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葬儀

10時より今庄A地区公民館にて葬儀。急に冷え込んできたので朝でがけに肌着を長袖に替えてきたのが大正解。今庄は福井に比していつも2~3度は気温が低い。

総儀式会場が武生の葬儀社のホールだったら通夜だけの参列という方も少なくなかっただろうが、在所での葬儀だけに地区の方の参詣も多かった。亡くなられたKさんのおばあちゃんは物静かなやさしい方だった。昨年の報恩講廻りにお会いしたのが最後だった。

葬儀会館では葬儀後のお寺さんへの食事は準備されることはまずないのだが、地区の公民館等での葬儀の場合用意してある習慣をすっかりわすれてしまっていた。約束の報恩講廻りがあるのでお昼の食事を辞退して福井に取って返す。

午後O家の報恩講を勤める。午前中の約束だったのを葬儀と重なったので急遽午後に変更してもらったのである。奥様はリュウマチを患って40年になると仰る。どんなに痛い思いを重ねての年月だったろうかと思うのだが、笑顔を絶やさない方でお勤めの後も、奥さんの子供のころの田舎の報恩講料理の思い出など語って下さった。

夕刻、報恩講の間行けなかった整骨院へ。時間がある限りなるべく通い、徹底的に腰痛はじめ肩の悪いところなど治してもらおうと思う。

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報恩講御満座そして通夜

午前中で報恩講は御満座。ご法話はことのほか有難かった。この席の法話を録音してあるので、いずれCD化してご縁のある方々にも聞いていただこうかと思案。今日の御満座の席はここ何年かの中で一番参詣が多かった。いつもなら一回の座敷でお斎がまかなえるのに、人数を数えてあわてて門徒会館に席を移すことに急遽決定。嬉しい悲鳴である。

ご講師を駅まで送り、後片付けを終わって一息ついたところで、今庄へ向かう。K家の通夜。お寺の報恩講と重なったことを考慮してか、通夜・葬儀を一日延ばして下さったようだ。近年珍しく、地区の公民館での葬儀。

例によって、お通夜のお勤めが始まったら喪主はじめご遺族は最前列に座っていただき一緒にお勤めしていただく。葬儀社も最近は千福寺のポリシーを心得てくれているようで、そのように取り計らってくれた。やはり真宗門徒は喜びにつけ悲しみにつけお正信偈という伝統は大切にしたい。参列の方々も一緒にお勤めの唱和をしておられる。

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