身の整理

午前中、市内3軒の報恩講。二軒目のH家。ご主人に先立たれ、市内一等地の家を処分して川沿いのマンション住まい。シチュエーションは桜のころそして花火大会は特等の煥爛席となるようなお宅。お勤めのあと美味しいコーヒーをいただきながら、自分が死ぬときの話をこだわりなくされる。

毎晩寝るときは身奇麗にして箪笥の中もきちんと整理して床につくと仰る。理由は、「一人住まいの自分がもしこのまま逝ったあと数日して家族に発見されたとき、お母さん、だらしない最後だったと言われないように」ですと。家を処分してこのマンションに越してきたとき家財道具のほとんどを処分しました。それでも何年かここに住むうちにまた物が増えました。もう身辺の整理をする年になったのでものは一切買いません。ベランダの植木鉢もぼつぼつ減らしていますし、お気に入りで大切に使ってきた食器棚のガラス製品ももう私には必要ないものですから処分しているんです。

「奥さん、淡々とそんな風に死ぬ心構えを話されますが、死に対する不安はないのですか」と問うと、死ぬことへの恐怖心はあまり感じませんと。

亡くなったご主人をはじめ懐かしい人たちと会えることのほうが楽しみですというような意味のことを仰る。自分に先立って亡くなった大切な愛する人は、私の死の不安をやわらげてくれるという意味のせりふをかつて曽野綾子氏の小説で読んだ記憶がよみがえった。

ただ、このH婦人は悲観的に暗い毎日を送っておられはしない。婦人会のお磨きにも着てくださればまた千福寺の「お説教とジャズ」の常連でもある。白井ハウスのライブではしばしばお会いする。身の回りの整理ね・・・・、もうぼちぼち自分もそんな覚語が必要かもと自分の物で散らかった身辺をみながら思う。

午後、敦賀の報恩講3軒。それぞれのお宅で前住職へのお悔やみの言葉をいただく。

I家には珍しい一服の御絵伝がある。毎年必ずそれを床の間にお掛けして報恩講を勤められる。一服の絵に四幅分を詰め込んであるのだ。

その中、親鸞聖人が荼毘にふされる場面。よく書き込んであると思う。

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今日も法務員のY君の運転にこの身をゆだねて帰りの車中は爆睡。

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